柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

2008-01-01から1年間の記事一覧

「御霊に燃やされよ」イザヤ書42章3-4節、第2テモテ1章3-7節

イザヤ書42:3-4と第2テモテ1:3-7を開きました。私たちは旧約聖書の約束が、新約聖書の中に実現されるのを見ることが出来す。そして、私たち自身にも必ずなるということもわかります。キリスト・イエスにある命の約束は私たちにも与えられています。使徒パ…

「恵みの回復」 詩篇126:1-6

キリスト教の神を信じ何か良いことがあるのでしょうか。あります。わたしは救われて間もない頃ある集会で講師の先生が「信じるものは儲かります。」と言われるのを聞きました。お金が儲かるのかなと思いましたが、そうではありません。儲かるとい字はよく見…

「新しい力を得る」 イザヤ40:28-31,使徒の働き1:8

教会の暦に「ペンテコステの日」があります。今年は5月11日でした。私たちの教会では、特別伝道集会があり、18日になりました。ひと言で言えば、教会誕生の日です。ペンテコステは日本語で、五旬節(ごじゅんせつ)と訳されています。それは50日という意味が…

「健やか家族、三つの秘訣」   創世記2:24

聖書箇所:「男はその父母を離れ、妻と結び合い、二人は一体となる」(創世記2:24) 健やか家族、三つの秘訣 〈序〉子ども川柳から見えてくるもの:母親の支配性や情緒不安 ある児童精神科医:以前は本人が治療対象、今は、家族全体が治療対象。 そこで…

「神に仕える力」 ゼカリヤ4:4〜9

ゼカリヤ書4:4〜9の中でも、特に6節の御言葉は私たちとって、大きな励ましです。それはここに私たちが、神様から祝福を受ける、つまり幸せになれる秘訣が語られているからです。 ゼカリヤとは預言者の名前です。彼は今から約2500年前にイスラエルで活躍…

「わたしたちは神の神殿」  第1コリント3:10-17

聖書に「あなたがたは神の神殿である」と記されていますが、これは一体どういうことなのでしょうか。(口語訳では神の宮)1.神殿 それはひとりひとりが神の宮であると言うことと同時に、信じた者が、みな組み合わされて神の宮、神殿とされるのです。 神殿…

「慰めに満ちたる神」 第2コリント1:3-10

ここには「慰め」という言葉が多く出ています。3〜7節には10回出ています。それには理由があります。パウロの生涯においても、もしこの「慰め」がなかったら、伝道することもできなかったでしょうし、生きることすら困難だったかも知れません。 私たちもこ…

「私が共に行く」 出エジプト記33:11-16

ここには大変素晴らしい御言葉が出てきます。それは、14節です。「わたし自身が一緒に行って、あなたを休ませよう」という御言葉です。前の会堂には講壇の上に「我親(みすから)汝と共に行くべし、我汝をして安泰(やすらか)にならしめん」とありました…

「豊かに実を結ぶために」ヨハネの福音書15:16-17

聖書にブドウのことがよく出てくるのですが、それは単に果物としてのブドウではなく、霊的な意味があります。一つには、イスラエルの民を表し、また私たち自身のことであり、豊かに実ることを象徴するものです。 誰でも、豊かさを求めます。お金を儲けたい、…

「神の栄光をほめたたえる」  エペソ1章1-14節

聖書:エペソ1:1〜14 金言:それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 エペソ1:6 「私たちは、どこから来て、何をして、どこへ行くのか」という問題は、人生最大の疑問です。この疑問に聖…

「石はすでに」    マルコの福音書16章1-8節

イ−スタ−礼拝 死者の復活、それは信じがたい出来事です。それは何も今日の人だけではなく、キリストの弟子たちやその周辺にいた人たちも『信じようとはしなかった』(11,13,14節)のですから、そこにある人間の本質的な限界を知ることができます。そんな中、…

「十字架の主に直面して」マルコの福音書15章21-41節

主イエスの十字架は、苦難と神の審きが極限に達した場でした。それは、偶然のことではなくて、神の必然でした(8章31節)。主イエスは、それを父なる神のみこころとして進んでいかれたのでした。 さて、主の十字架の場に居合わせた多くの人々は、そこに向か…

「成長させてくださる神」  第1コリント3章1-9節

パウロはコリント教会の問題を取り上げつつ、教会とは何かと言うことを語っています。そして、教会がその立場を自覚して歩むように指導しています。 1.あなたがたはただの人たち コリントの教会の問題、その実情がどうであったかと言えば、「あなたがたは…

「教会の力」 使徒の働き12章1-17節

教会の力は、真のとりなしの祈りをする人がいるかいないかというところにある。とりなしの祈りは、直接見える形で現れにくいし、相手に直接伝わらないということからして、真のとりなしの祈り手が育ちにくいと言える。 神にとりなし続ける祈りとは、どのよう…

「御霊を受けた者」  第1コリント3章1-9節

今朝は、第1コリント第3章を学びます。2章は大変難しいところでしたが、結論的には、キリストの十字架以外には語るほどのことはないと言うことでした。そしてその中で、神の御霊の働きについて、御霊はキリストの十字架を信じさせてくださる方だ、と言うこと…

「我を忘れて」 イザヤ書43章25節、49章15-16節

『あわれまないだろうか』(49章15節)とありますが、旧約聖書の中で「あわれむ」という語は、「我を忘れてしまう」という語から派生しました。不届きな女性もいますが、普通母親はわが子を抱き、慈しみます。それ以上に、神は、我を忘れてご自身の民をあわ…

「愛は打算をこえて」 マルコの福音書14章3-9節

主イエスが間もなく十字架にお架かりくださるとき、『ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油』一年分の生活費に相当するほどの香油を、その壷を割って全部『イエスの頭に注』ぎました。それは、この女性の全存在が主イエスに注がれているのであり、彼…

「恵みを総動員して」 使徒の働き11章19-30節

「クリスチャン」と最初に呼ばれたのは、アンテオケ教会においてでした。それは、キリストと一つに結び合わされている人、明けとも暮れてもキリスト一辺倒に生きている人々のあだ名でした。私たちも、この呼び方に恥じない生き方をしたいものです。 そんなア…

「キリストの思いの共有」第1コリント2章1節-16節 イザヤ64章4節

パウロは先に、神のご計画は、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないもの 9節」だと記しました。 では、見たことも聞いたこともなく、考えもしなかったことがどうしてわかったのかと言えば、それは神が「御霊…

「すばらしいものに触れる幸い」へブル人への手紙13章8節

長野県諏訪市にお住まいの声楽家、高橋ちえさんは、同郷の詩人で「瞬きの詩人」といわれた水野源三さんの詩に曲をつけ、その歌を歌われ、多くの人に紹介されています。それらを子供合唱団が歌ったところ大好評となり、ヨ−ロッパ遠征までするようになりました…

「荒野に道を」イザヤ書43章18-19節、ヨハネの福音書14章6節

イスラエルの歴史を振り返ってみると、それは「荒野との対決」でした。荒野がどんなに彼らの前途をさえぎってきたか知れませんし、そこで迷い、苦悩し続けてきました。 荒野に道が設けられるということは、どういうことでしょうか。 1.新しいことの始まり…

「大いなる救い」 詩篇126篇1-6節

今年の私たちの教会は、日本イエス・キリスト教団と同じみことばを与えられて進みだしています。キリストの救いの福音に生きるところに、恵みと力に溢れ、喜びに満ちる恵みがあります。 この喜びに溢れさせていただくことは(2〜3節、5〜6節)、どなたに…

2008年元旦礼拝説教要旨「恵みと力に溢れて」

「キリスト者は救われた求道者である」と言われたりするように、絶えずキリストご自身とみことばに渇きを持ちつつ歩むというハングリーな面が必要である。しかし、一方、『わたしの恵みは、あなたに十分である』(第2コリント12章9節)、また『私は、どんな…