柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「すばらしいものに触れる幸い」へブル人への手紙13章8節

 長野県諏訪市にお住まいの声楽家、高橋ちえさんは、同郷の詩人で「瞬きの詩人」といわれた水野源三さんの詩に曲をつけ、その歌を歌われ、多くの人に紹介されています。それらを子供合唱団が歌ったところ大好評となり、ヨ−ロッパ遠征までするようになりました。かの有名なウィ−ン少年合唱団と一緒に歌う機会にも恵まれ、その経験によって、どんなにか感動し、心燃やされ、良い影響を受けました。彼らの歌はびっくりする程急速に成長したというのです。見た、聞いただけではない、本物に、そして本当にすばらしいものに触れることは大切ですね。
 私たちの人生でも、本当にすばらしいもの(人)、私たちを感動させ、大きな影響を与えるものに出会う、触れるって大切ですね。まして、一緒に生きることのできる経験こそ最高です。
 日本の子供合唱団の経験を聞いて、私たちのところに来てくださり、私たち一人ひとりに出会ってくださり、共に生きてくださるイエス・キリストのことを思い起こしました。この世の多くの立派な人、すばらしい人は、出会って知れば知る程だんだんと、そのすばらしさが色あせていきます。


1.イエス・キリストと出会って
 日本人は昔から「出会い」を大切にしてきたと言われます。例えば、茶道の真髄を説明する言葉に「一期一会」があります。これは人生で一度限りの出会いを表現するものとしてよく知られています。そのさまざまな出会いが私たちの人生の方向を決定することも多くあります。
 しかし、そこには二つの態度があるようです。一つは出会いを単に偶然と受け取るという生き方です。ですから、人生で最も神秘的とさえ思える結婚すら、男と女が偶然に結びついたと考え、結果的に離婚も手軽にしてしまいます。もう一つの生き方、それは「出会い」を神の導きとして受け取る生き方です。偶然としか見えない出来事の中にも、背後には神の導きがあると信じ、受け取るのです。人生で経験する様々な出会い、それによって神が何を語っておられるのかを聴き取るとき、意味のある、神のご計画に基づく豊かな人生を発見することになるのです。
 そのためにはまず、私たちを存在させてくださるお方、生ける真の神との出会いが必要です。そのためには、神の啓示の書である「聖書」を読むことです。ここから神の語りかけを聴くことができるからです。そうしますと、神に背を向けて自分中心に生きていることが最も不幸なことであり、その不幸を幸いに変えてくださるお方がイエス・キリストであることを知らされます。そして、イエス・キリストの十字架こそが、唯一神との出会いの道を開いてくださったことを信じることができるのです。


2.イエス・キリストと共に生きることを通して
 学生時代に、ヴィクト−ル・フランクルの書「夜と霧」を読んで感銘しました。彼がナチス収容所の生活の中で、彼自身がとてつもない苦難を耐えることができた大きな力について述べています。それは愛する奥さんの存在でした。同じように収容所生活をしているのでなく、手紙のやり取りも許されませんでした。そんな中で、「私は愛する者との会話を再び始めた。ますます強く、私は彼女がそこにいるのを感じる。手を伸ばしさえすればとらえることができるかのようであった。彼女はそこにいる!」と語っています。幻影を見ているのでも、幻覚でもありません。それほどまでにかけがえのない愛する者の存在が、生きる力を注いだというのです。
 ましてや、十字架に死んで復活されたイエス・キリストが、『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます』(マタイ28章20節)とおっしゃっておられる臨在感は、私たちにとって、とてつもない大きな力となるのです。

 私自身は22歳の時、聖書に出会い、イエス・キリストを信じて、共に生きて34年になりますが、あの34年前の感動、新鮮さ、喜び、すばらしさ、今も色あせるどころか、ますます新鮮なのです。私たちは変わりますが、『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです』。

                  (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)