この世の現実は、少しでも自分の利益になることを求める傾向があります。
聖書には不正な升の例があり、仕入れには大きな升、売るときには小さな升を使うという不正が行われていました。
パウロは「あなた自身が不正を行い、だまし取っています」と語り、神の目はごまかせないことを示します。少しぐらいなら、みんなやっているから―そんな誘惑がありますが、正しくない者は神の国を相続できません。
9~10節には肉の働きが列挙され、そのようなことを続ける者は神の国を受け継げないと警告されます。
11節は「しかし」と語り、大逆転が始まります。主イエス・キリストの御名―すなわち十字架の救いです。十字架には罪に勝つ力があります。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめる」との約束通り、どんな過去の罪や弱さも神の愛に包まれ、癒やされ、新しくされます。
11節には三つの祝福が示されます。
第一に「洗い」。十字架の血潮によって過去の罪が洗い流されます。
第二に「聖なる者とされる」。罪に汚れたこの世から分離され、神との愛の交わりが回復されます。
第三に「義と認められる」。行いではなく信仰によって「あなたは正しい」と宣言され、無罪放免となるのです。
キリストの御名は罪の赦しと復活のいのちを示し、御霊は心の内に住んで、キリストの姿へと変えてくださいます。
私たちに新しい力が注がれ、罪から解放され、立ち上がらせます。神の御心に生きる喜びに導かれます。
主に心を開き、感謝を献げて歩みましょう。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)