柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「多くの実を結ぶために」 ヨハネの福音書 15章4∼5節

 本日は、和歌山の五つの教会の皆さんと共に礼拝できることを大変うれしく思います。これもまた神様の恵みと信じ感謝します。

 私たちクリスチャンが今生かされているのは、信仰によって多くの実が結ばれることではないかと思います。どのようにすれば多くの実を結ぶことができるでしょうか。



1,キリストにとどまる―繋がっている


 イエス様はご自分と私たちの関係をぶどうの木のたとえを持って語られました。
エス様がぶどうの木であり、私たちはその枝です。枝は自分の力で実を結ぶことはできません。まず大事なことは、キリストにとどまる、キリストに繋がっていると言うことです。キリストに繋がるとは信じることです。信仰によって私たちはキリストと繋がります。

 この世では人間関係が大切です。人とのつながりは大切です。おそらく教会に来るのも誰かに誘われたという人が多いと思います。しかしそれ以上に大切なことがキリストに繋がっているかどうかです。信仰も人間的なつながりであるなら、簡単に壊れてしまう可能性があります。しかしキリストに繋がるならたやすくは切れません。使徒パウロは「だれが、キリストの愛から私たちを離れさせるのか。どんな被造物も、…神の愛から私たちを引き離すことはできない」(ローマ8:35,39) と言っています。

 キリストに繋がるとは十字架の愛がわかると言うことです。自分のためにキリストはいのちを捨ててくださった。このことがわかるとキリストからは離れられなくなります。

 そして大切なことは良い実を実らせることです。昨年私の関係している教会でぶどう狩りがありました。残念ながら参加できませんでしたが、お土産をいただきました。シャインマスカットでした。非常に美味しかったです。ぶどう狩りの写真も見ました。実が豊かに実っている。ぶどうの素晴らしさは枝ではありません。美味しい実ができるかどうかです。枝振りが良いとかそれは評価されないのです。

 どんな実が結ばれるのかそれが大切なところです。

 ですから、私たちも立派だとか優れているとか人間的な評価よりも、神様の目から見てどうかが問われることであると思います。神様が求めておられる実は、ガラテヤ5:22,23 「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、忠実、柔和、自制」と言った心の内側に結ばれる実です。心の豊かさです。それを神様は求めておられます。

 そのためにも、イエス様は「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります」(4節)と言われるのです。

 そして5節で「わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます」と約束されています。自分はしっかりとイエス様に繋がっているか。キリストが内にとどまり、キリストが実を結んでくださる。その信仰をしっかりと持ちたい。

 


2,実を結ぶための取り除き―剪定がある。


 2節に「実を結ばないものは、すべて父がそれを取り除き」とあります。枝の剪定があるのです。良い実を結ばないものを惜しげもなく切っていく。

 剪定を見たことがありますが、どんどん不要なものを切り取ります。するとしっかりした良い実ができて高値がつくのです。

 私たちの心の中に剪定されなければならないものがあります。
「不品行、汚れ、敵意、争い、分裂、妬み」 (ガラテヤ5:19~21) など肉の行いです。
パウロは自分の肉を十字架につけた (ガラテヤ5:24) と言っています。

 そして、私たちの心の中に御霊の実である愛、喜び、平和、寛容等の実が豊かに結ばれるのです。これは聖霊の働きです。神様が与えてくださいます。

 


3,神が選んでくださった

 これはすべて、神様の責任です。「あなた方がわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」(15:16)イエス様の伝道はガリラヤ湖から始まりました。無学の弟子たちが聖霊の力を受けて、地の果てまで証人となったのです。

 私が開拓伝道に使わされたとき、種は蒔かれていました。宣教師の働きがあったのです。ボートミッションのコルベンソン師ホビー師が伝道したのです。その後、私は「あなた方がわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになる」そのことを信じて祈りました。さらに救われる者が起こされ、そして教会が生み出されていきました。

 今私たちができることは何か。それは必ず、父が与えてくださる、そう信じて祈ることではないでしょうか。

 キリストに繋がり、豊かに実が結ばれる。私の内に、教会の中に、神の豊かな実りがあるように祈り求めましょう。

 

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)