柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「いのちの刈り取り」ガラテヤ6章7-8節

11月23日は勤労感謝の日です。アメリカでは11月第四の木曜日が感謝祭となっています。1620年にイギリスから清教徒が新天地を求めて移住してきましたが、その年は飢饉と飢餓で多くの人たちが死にました。しかし、先住民がトウモロコシの種を分け与え、翌年は大豊作となり収穫の感謝をもったのが始まりといわれています。
自然界も実りの秋を迎えますが、私たちにも人生の収穫のときがあります。その時が不作であるのか豊作であるのか、それを決定されるのは人間ではなく、万物の創造主である神ご自身です。
小アジアのガラテヤ地方にイエス・キリストの福音が伝えられ多くの人たちが救われ教会が建ち上がりました。しかし、そこに問題が発生しました。間違った教えを語る人たちです。「そのものは呪われよ」、とパウロは1章で語っています。私たちの救いは、行いによって救われるのではなく、信仰によって、イエス・キリストの十字架による罪の赦しにより救われるのです。そしてそれを信じることです。いわゆる信仰義認ということをパウロは、ローマ書とこのガラテヤ書で語っています。


1,人間の思い違い

神様は人間に十戒を与えられました。律法の基本です。「わたし以外のものを神として拝んではならない。偶像を作ってはならない。安息日を覚えて聖とせよ。」と教えられました。しかし、残念ながら、思い違いをしてしまったのです。それは律法を守れば救われる。と考えたのです。しかし、それは神の御心ではありませんでした。表面だけの行いで、実質が伴わなかったのです。それでは律法とは何か、ガラテヤ5:14「あなたの隣り人をあなた自身のように愛せよ」ということです。イエス様が良きサマリヤ人の話しをされたように行うことです。神様はそのことを願って人間に律法を与えられました。
しかし、人間は律法では救われなかったのです。現に律法学者・祭司・ユダヤの長老といった人たちは、自分たちの憎しみのためにイエス様を十字架にかけたのです。まさにそれは肉の欲望を満足させるものであったのです。現代でも、犯罪が多く起こっています。なぜでしょうか。自分の欲望を満足させようとするものが、自分のために悪を行い、人を害しているのです。そのようなものが栄える理屈はありません。悪事はやがて明らかになり、そしてその裁きを受けなければならないのです。


2,いのちの刈り取り

自然界に収穫のときがあるように、肉眼では見えない、霊の世界・信仰の世界においても刈り取りがあります。良いものは倉に収められ、悪いものは焼かれます。昔、.田んぼで脱穀作業をみたことがあります。稲は米と籾に分けられ、籾殻が焼かれていたのをみたことがあります。お米は袋に詰められて農協に運ばれました。
それと同じように、私たち自身も刈り取られることを知らなければなりません。
自分の肉のために蒔くものは、滅びを刈り取り、御霊のためにすなわち神のために蒔くものは永遠を刈り取る、とはっきり聖書に記されているのです。
肉とは5:19から21節に出てくる、心の内にある罪です。こんなことをしている者たちが神の国すなわち天国を相続することはありません。滅びを刈り取る、黙示録21:8にある火と硫黄の燃える池、第二の死、すなわち地獄に落ちていくのです。
そんな事がないように、私たちは自分の罪を認め、そしてキリストの十字架によって赦されなければ、永遠の滅びを刈り取ることになるのです。
心の目を開かせていただいて今自分は何をしているのか、どこに向かって進んでいるのか、御霊によって教えていただき、神の喜ばれること、すなわち御霊の実をみのらせるものとさせていただきましょう(ガラテヤ5:22,23)。


                   (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)