柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「みことばを行う」ヤコブ1章19-27節

キリスト教の救いは「永遠の命が与えられる」ことだとお話ししました。そして永遠の命は信仰によって無代価で与えられるものです。私たちの肉体の命を考えて見てもある意味無償で与えられたものです。神の御言葉は私たちに生きる喜びを与えます。


1,御言葉によって命が与えられる

私たちの救いの確信は神のことばすなわち、聖書を信じるところにあります。私たちにとって聖書すべてを理解することは簡単ではありません。私自身も聖書のすべてを知っているというわけではありません。むしろ、日々聖書を読み新しい発見がある。聖書を読むとき、三度の食事をするような喜びを感じます。なぜなら、聖書の御言葉によって新しい命が与えられ、新しい生き方をすることができるようになるからです。
この手紙を書いたヤコブはイエス・キリストの弟でした。しかし、最初彼はイエス・キリストを神だとは信じられませんでした。むしろ、救いのことばを語る兄としてのイエス様に非常に違和感を覚え、気がおかしくなったのではないかと思っていたのです(マルコ3:21)。そのヤコブがなんとイエス・キリストを自分の救い主すなわち神として信じたのです。これはまさに奇跡と言っても良いと思います。 彼もまた神の御言葉を聞いて救いにあずかりました。21節にある「みことば、あなたがたのたましいを救うことができます」との言葉は彼の実感ではないでしょうか。生きて共に生活するときには信じられなかったのが、その後に使徒たちの語った神の言葉によって彼は救われたのです。そして何とイエス・キリストを自分の救い主、神と信じて新しく生きる人となりました。


2,御言葉を行う

そして、新しく命が与えられたなら新しい生き方ができます。私たちが救われるのは、全く神の愛によって罪が赦され、愛されて命が与えられることです。ヨハネ 3:16に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」とあるように父なる神はひとり子イエス・キリストを罪深い私たち人間に渡されました。私たちはイエス・キリストを十字架に付けたのです。私たちの内にある悩み悲しみ怒りがキリストを十字架に付けました。しかし、イエス・キリストはあの十字架の上で私たちを赦されました。その赦しにより私たちは救われたのです。
ですから、心に感情的な怒りを感じるときまず十字架を思い出す必要があります。十字架を心に崇めるとき、感情的な怒りは収まります。19節に勧めがありますが「聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいように」と言うことが心にイエス様の十字架を見ることによって可能となるのです。
御言葉を実践しないと、直ぐに忘れてしまいます。マタイ 7:12には「 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」とあります。素晴らしい言葉だなと思って終わるだけでは身につきません。でも、それを実践するときに身につきます。


3,どうすれば御言葉を実践できるか

答えは21節「自由の律法を一心に見つめて離れない」これが秘訣です。絶えず聖書の言葉を自分の心に蓄えておく。努めて暗記する。そうするなら、聖書の言葉が自分の心のエネルギーとなり、動力となります。神様が私たちに願っていることが実現されるようになるのです。
御言葉を一心に見つめていると、その事を行い、そして神様から豊かに祝福される人になれるのです(27)。


             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)