柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストにつながる」ヨハネ15章1-5節

私たちは暑さの中にいますが、この暑さは植物の生育には欠かすことができません。また、私たち自身も暑さに弱ることなく、むしろ成長して実りのある生活ができることを願うものです。


1,多くの実を結ぶために

ここにぶどうの木の話をイエス様はされました。最後の晩餐の大事なときにこの話をされたのです。ぶどうとは実はイスラエルのことを指します。旧約聖書でぶどうの木の話が出てきます(エレミヤ2章)。しかし、そのぶどうは良い実を実らせませんでした。神様は確かに良いぶどうとして植えられたのです。素晴らしいと言われたのです(創世記1:31)。しかし、残念ながら野生の酸っぱい実しかならないものとなりました。
イスラエルの歴史を見るとわかります。真の神様によってまず選ばれました。そして奴隷の国エジプトから救われました。しかし、イスラエルは神ならぬ神を神として、偶像礼拝に陥ってしまったのです。そのことのために祝福を失い、ついには国を失ってしまいました。まさに神様から離れて、呪われるものとなったのです。
それは、アダムの時も同じでした。取ってはならないと言われていた木の実を取って食べ、罪を犯したのです。そのため神から離れ、ついには荒野に落ちぶれ呪いを受けるものとなったのです。
私たちも同じです。アダムと同じ肉の心があり、世の欲に負け神に対して罪を犯してしまうのです。しかし、私たちには救いがあります。
御言葉による救いです。3節を見ますと、御言葉によって清くされるとイエス様の約束があるのです。私たちの信仰は「御言葉信仰」です。聖書の言葉、神の言葉を信じることによって私たちは救われ、祝福の回復が与えられるのです。
神の御言葉には私たちを聖める力があります。ヘブル4:12に「 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」とありますが、神様は私たちの心の中を見られ、不純なものがないか神に喜ばれないものがないかを見分けられ、そして御言葉と聖霊により取り除いてくださるのです。そうでなければ、豊かに実を結ぶことはできないのです。私たちが結ぶべき実とは何でしょうか。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」の聖霊により結ばれる実です(ガラテヤ5:22、23)。
そのためには、刈り込みということを神様はなされるのです。ぶどうにも剪定があります。それによって多くの実を結ぶためです。クリスチャンも聖められなければ、聖霊の豊かな実を結ぶことはできないのです。


2,キリストにつながる

剪定も大事なことですがそれも世ももっと大切なことは、枝がぶどうの木につながっているということです。このことなしに実は実ることはできません。
それと全く同じように、私たちもイエス様につながっていなければ、聖霊の実を豊かに結ぶことはできないのです。私たちはしっかりとイエス様につながっているでしょうか。
つながる現実のものは何かというと、礼拝に出席すると言うことです。このことによってはっきりとイエス様につながっているかどうかわかります。もちろん、身体的問題があって出られない人もおられますが、礼拝出席はキリストにつながっているか否か、判断できる大切なポイントの一つです。
私たちの礼拝は御言葉礼拝です。神の御言葉を重んじます。先ほど話しましたように、神の言葉には力があります。私たちを聖別し、豊かな実を結ばせる神の力です。
そしてまた、聖書を読むことです。聖書は命の書です。私たちの命の源であるイエス・キリストのことが書いてあるからです。私たちに命を与えてくださるのは、イエス・キリストご自身だからです。
そして、祈りが大切です。祈りは霊的呼吸と言われています。息をしなければ、すぐ死にます。それほど祈りは霊的な命に書かせられない大切なものです。私たちは、御言葉と祈りによって霊的に成長し、聖霊の実を豊かに多く実らせることが可能となります。その具体的なことによって、「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」(5節)と約束されているとおりです。
私たちは何よりもキリストに結びあわされなければなりません。そうでなければ、実を結ぶどころか命さえ失うことがあるのです。
私たちもイエス様につながり、命が与えられそして、多くの実を結ぶものとさせて頂きましょう。

       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)