2006-01-01から1年間の記事一覧
一年の歩みを振り返りながら、一人ひとりそれぞれ感謝をもって礼拝に臨んでおられるでしょう。深い悲しみを味わう一年であったでしょうか。苦しいことや辛いことの多い試練の年でしたでしょうか。多忙であわただしく、静かに 自らを顧みることができにくい年…
クリスマスは、主なる神が御子イエス・キリストをこの世に遣わされるに際して、私たちのために立ち上がってくださったからこそ、私たちも立ち上がるときです。また、神のもとに立ち帰るときでもあります。 さて、クリスマスは、キリスト礼拝との意味がありま…
この箇所は、今から2700年以上も前、キリスト降誕にさかのぼってもの700年以上も前に預言された言葉です。世の中に、偉人といわれる人たちは数多くいます。また、宗教の開祖やカリスマといわれる人たちも多くいます。しかし、キリストがそれらの人た…
聖書全体のメッセ−ジは垂直的です。クリスマスの出来事も例外ではなく、『聖霊によって』とあります(18,20節)。まさに、クリスマスは主なる神が造り出されたといえます。 ところで、キリスト降誕の意味と目的は何なのでしょうか。そして、その意味と目的…
様々な不条理・不幸・困難を経験する中で、人はイエス・キリストに現された神の恵みに出会い、その恵みの確かさに生かされる存在です。「イエス・キリストの系図」と言われる本箇所に、その根拠を見出すことができます。 Ⅰ.真実な神ゆえに 『イエス・キリス…
「ノアの箱舟」と聞けば、「創世記」に登場する人物で(6〜8章)、神が命じられたとおりに、山の中で大きな箱のような舟を作った人です。その時代は邪悪な時代で、地上に人の悪は増大し、人間が心で計ることは悪いことばかりでした(6章11〜12節)。どこ…
主イエスが『主がお入り用なのです』と『ろばの子』を用いて、その背には弟子たちの上着が投げかけられ、そこに乗られてエルサレムに入城されました。 その時群衆は、自分たちの上着または葉のついた枝を道にしき、『ホサナ(どうかお救いください)、ホサナ…
(地域コイノニァ集会でのメッセ−ジ) 先行き不透明であったとしても、たった一つ分かっていること、決まっていることがあります。人は誰でも、必ず「死」を迎えるということです。「いつ死んでもかまわない」「死なんか怖くない」と言われる方があったとし…
三位一体の神との交わりを深める中で、互いの相違を意識しやすい自らを認めて祈り、共通のものにしっかりと目をむけていくことが大切です。 原始教会の内外の様々な課題・問題に神が生きて働かれたことに対して、人々に神への畏敬の念が生まれ、その結果伝道…
(第三礼拝説教要旨) 「ただ信ぜよ、ただ信ぜよ、信ずる者は誰も、みな救われん」(新聖歌182番) と歌いますが、「この科学万能の時代に、目に見えないものをただ信じるわけにはいかない」と抵抗を感じられる方も多いのではないでしょうか。それに「信じる…
民を率いて40年間も荒野の旅をするモ―セの歩みは、壮大であっても孤独、 挑戦と混乱に満ちた人生で、いつも神との会見の天幕、神と交わりの場所がありました。 本日の聖書の箇所もモ―セの祈りです(31〜32節)。それは、罪を犯し神に逆らう民と、その民を…
(明野キリスト教会での伝道説教) 「Ⅰ am so happy in Christ」(ヘレン・ケラ―)と、自分はキリストにとって、かけがえのない、愛されている「ひとり」であるとの幸いを、一人ひとりが体験したいものです。 イエス・キリストは、そのように招き、あなたを…
悩みの中から、主イエスのあわれみにすがり、叫び、祈るバルテマイの姿に、今日、このように叫ぶことのできるお方を知っているか、また持っているかと問われます。 Ⅰ.主イエスのあわれみを求める 46〜51節 主イエスにとって最後のエリコを通過される時…
聖霊降臨によって誕生した教会は、手厳しい弾圧があったにもかかわらず、大胆に福音宣教が前進していきました。本日の聖書箇所において、教会が真実な交わりを保ち続けるためには、どこに焦点を置くべきかについて問いかけています。 Ⅰ.「宣教」の交わりが…
私たちは、今、主イエス・キリストが十字架にかかられてから約2000年後の時代に住んでいます。私が信仰をもって、もう二十数年がたちます。その中で、最近までずっと考えてきたことは、私がキリスト時代に生きていればよかったのになぁ、ということでした。…
聖書の神を呼ぶとき、特有の表現があります。『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』(マタイ22章32節)です。神は人とかかわって呼ばれることをよしとしてくださるのです。このように表現される場合、それは神とのかかわりが代々続いていくことを表…
『イエスが先頭に立って』、十字架に向かって積極的に進んで行かれる姿に、弟子たちはいつもとは違う主の決意に満ちた様子を見て取り、『驚き怪しみ、従う者たちは恐れた』のでした。そして、召しにあずかった初めの愛を忘れて、いかに主に従い仕えるかとい…
使徒行伝に記録されているものが教会の原型ですが、その中で教会の祈祷会の原型がここに明らかにされています。祈祷には個人の祈祷もあれば、家庭の祈祷もあり、それぞれに特徴や意味の相違があります。その中で教会の祈祷会が持っている意味は決して小さい…
ローマ人への手紙は、パウロ先生がローマにあるキリストの教会に向けて書き送った手紙です。当時、ローマとは世界の中心でした。「すべての道はローマに通ず」といわれていたように、ローマとは当時の世界の政治、経済、文化の中心でした。 実は、パウロはロ…
ダニエル書の中に、『メネ、メネ、テケル、ウパルシン』と聞きなれない不思議かつ不気味な言葉があります。何の呪いか、と思ったりもします。キリストが降誕される500年ほど前に(紀元前538年)古代世界で最強を誇っていたバビロン帝国最後の王『ペル…
この肉体をもった地上の生涯は、「永遠」と比べるならば一時てあり、この一時の中で何を得るか、何を見出すかということは、一人ひとりにとって重要なことです。それについて聖書は、『ひとりの人(青年、役員)』が問いかけているように、『永遠の生命を受…
ペンテコステの出来事は、臆病者を大胆な者と変え、主の証人を生み出しました。「美しの門」での奇跡とそれに基づく福音の宣証は、逮捕・抑留という迫害(1〜4節)、議会での審問と波及していきました(7節)。 そうした最中にあっても、ペテロたち弟子た…
この箇所は、2つの物語を含んだ、キリスト者の間では非常によく知られた箇所です。この物語の発端は、ある律法の専門家が挑んだ次のような論争からはじまります「何をしたら永遠の生命が受けられますか」と。この質問は、同じルカによる福音書18章にも投げ…
一般的に、人々が宗教に求めるものは、大まかに言えば二つであると聖書は語っています。『ユダヤ人はしるしを請い、ギリシャ人は知恵を求める』(Ⅰコリント1章22節)とのみことばに象徴されています。「しるし」つまり、何か不思議なことをしてくれるもの…
誕生したエルサレム教会における「最初の奇跡」の出来事は、単に一つの例を紹介したというだけでなく、この奇跡を契機として「ペテロの証言」(11〜26節)、続いてペテロとヨハネの留置、そして教会に対する迫害の過程が示されています(4章1〜31節…
ここに登場する幼子は、おそらく主イエスとその御わざについて見聞きしていた両親によって連れられてきたのでしょう。主イエスは、幼子一人ひとりを抱き、手をその上において次から次に祝福し続けられました(16節)。そこには、主イエスのおこころと、人に…
「恐れ」を知る心は、危険を避け、身を守り、信頼する心を持たせてくれます。逆に、「恐怖」の心は、生きる力を失わせます。「使徒行伝」の中にも、この恐れや恐怖をいだいている場面があるとともに、『主をおそれ』て前進していった教会(9章31節)、『み…
結婚、それはまさに「新しい愛の誕生」であり、男女が互いに「引きつけあう」以上に「結びつき、結び合う」関係に入ることです。聖書によれば、結婚前は、非合理的でやや感情が勝るところの「選びの愛」をもって理屈抜きの愛を表しますが、結婚後は、理性的…
(6月の地域コイノニア集会の説教) あるアンケ―ト調査によりますと、日本人の好きな言葉のナンバ―ワンは、「誠実」だそうです。さもありなんと思いました。あなたは、どんな言葉をモット−にしておられますか。辞書によりますと、誠実とは「他人や仕事に対…
復活の主イエス・キリストがペテロに対して、神の前に歩むための霊的なリハビリを与えるために、語られ、取り扱われ、導かれた本箇所は、全信徒に深くかかわり、キリストに従って生きていくときの大切なことが示されています。 ところで、『あなたは、わたし…