柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストを宣べ伝える」使徒8章1-8節

この箇所では信仰に対する迫害のことが出ています。キリスト教と迫害は不思議な関係があると言えます。?テモテ 3:12では「 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」と使徒パウロは弟子のテモテに手紙を書き送りました。しかしまた、迫害の中に私たちは信仰のすばらしさを見いだすことができます。


1,迫害と宣教の拡大

1節にステパノとサウロという名前が出てきます。ステパノはキリスト教最初の殉教者でした。彼は、イエス・キリストを信じる人たちの中で、やもめの人たちの面倒を見るために選ばれた人でした。しかし、彼はそうした奉仕以上にイエス・キリストが私たちの真の救い主であることを証しした人です。それ故にイエス・キリストを憎む者たちに捕らえられ、ついには石で打ち殺されました。しかし、死の間際でも「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と自分を殺す人たちの赦しを祈ったのです。それは彼自身も十字架の上で「父よ彼らをお赦し下さい」と祈られたキリストの赦しの祈りによって救われたからです。
そして、大きな迫害がエルサレムの町から始まりました。使徒たちを除いて他の人たちはユダヤやサマリヤの諸地方に逃れました。しかし、彼らは自分たちの命ほしさに逃げたのでしょうか。そうではありませんでした。4節を見るならば彼らは何と「みことばを宣べながら、巡り歩いた」と書かれています。彼らは決して自分の信仰を隠して逃れたのではありません。むしろ、あのペンテコステのときパウロはじめ弟子たちが立ち上がって、十字架のキリストを宣べ伝えたように、散って行った人たちはみことばを宣べ伝えて、その周りを巡り歩いたのです。
それはまさに聖霊のなされるわざです。人の努力や賜物ではありません。聖霊が働かれるとき、弱い人は強くなり、消極的な人は積極的に、小心な人は大胆にみことばを宣べ伝える人に神様が変えられるのです。ですから、私たちも同じように神様に期待しましょう。


2,キリストを宣べ伝える

ステパノと同じように、やもめの人たちを世話をするためにピリポも選ばれました。「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人」と言うのが条件でした。彼らは使徒ではありませんでした。人のお世話をするのが彼らの奉仕の第一目的でした。しかし、実際にはイエス様を証しすることに彼らは用いられています。
ですから、それが聖書に書かれている大切な原則ではないかと思います。私たちも今、教会の掃除をしたり週報を作成したりそうした類の奉仕があります。でも、神様が喜ばれる最大のものは何かというと、人が救われることです。
ピリポがサマリヤの町でしたことは「キリストをのべ伝える」事でした。その彼のことばに人々は耳を傾けました。元来サマリヤの人たちはユダヤ人を嫌っていました。仲が悪かったのです。しかし、そんな中にも神様は働かれ、悪霊は逃げ去り中風や足のなえた人たちが癒されたのです。それはかつてイエス様自身が「神の国は近づいた福音を信じ悔い改めなさい」と言われたときと同じであったのです。
サマリヤ人々はその福音を聞き、悪霊は逃げ去り病は癒されて喜びがわき起こりました。
私たちもそのような恵みに与りたいと思います。神様は必ず働かれます。試練と同時にまた逃れる道をも備えてくださいます。苦しみや試みにあってもなお、私たちを愛し救ってくださるイエス様を証しするものでありたいと願います。



        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)