柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「思い煩いの解決」ピリピ4章4-7節

この手紙は、パウロがローマの獄中でピリピの人たちに書いた手紙であると言われています。彼は獄中での苦しみの中にあり、やがては自分が裁かれるというような中で、彼が最初に伝道したピリピの教会の人たちに宛てて、この手紙を書きました。ピリピの教会には様々な問題がありましたが、神様は素晴らしい解決を与えて下さいました。


1,主にあって喜ぶ

獄中にあったパウロが、ピリピにいる人たちを励ますのは少し奇妙な感じがしますが、彼には信仰がありました。その信仰とはイエス・キリストを信じる信仰です。その信仰によって、アジアで伝道をしていたパウロはヨーロッパに行ったのです。そして、最初に伝道したのがピリピの町でした。彼は信仰の故に、むち打たれ、投獄されました。しかし、彼はそこでくじけなかったのです。それどころか、獄中で賛美を歌っていたのです。それは、彼には確信があったからです。神様は必ず助けて下さる、救い出して下さる信仰です。
そして彼は信仰により、神の御力が与えられて、ピリピで伝道することができたのです。そして、ピリピに教会が誕生しました。その人たちに彼は信仰の秘訣を伝えたのです。主にあって喜ぶと言うことです。
同じような言葉は、ネヘミヤ8:10に「主を喜ぶことはあなたがたの力です」とあります。
なぜ喜ぶことができるのか、それはイエス・キリストが私たちのために十字架の上で身代わりとなり死んで下さったからです。そのキリストを信じることによって天国には入れるからです。そのことの故に、私たちは喜ぶことができるのです。クリスチャンのとは自分が救われたこと、永遠の滅びから命が与えられて、天国に入ることができることなのです。これはお金によっても、よい行いをしても得られません。ただ信仰によってのみ、得られるのです。


2,思い煩いを祈りに変える

私たちは悩んだとしても、自分の命を延ばすことはできません。かえって寿命が短くなるかもしれません。とすれば、思い煩わないことがよいことです。
それでは、具体的にどうするべきでしょうか。祈ることです。あのピリピの獄中で捕らえられていたパウロはどうだったでしょうか。祈りと賛美を神様に献げていたのです(使徒16:25)。もちろん状況は喜べない状態です。それでもパウロは喜んだのです。主にあって喜びました。おそらく心のそこから賛美したでしょう。彼はかつて迫害者でした。しかし、迫害する中で復活のキリストにお会いし、彼は罪赦され、救われたのです。何と大きな喜びでしょうか。そして彼はイエス・キリストを命がけで宣べ伝えるものとなりました。
彼は大きな迫害を受けましたが、寛容な心を多くの人に示しました。彼自身が赦され使徒とされたことを何よりも喜び、彼はこの世の成功ではなく神の栄光を求めていたのです。彼の願いは、やがて来られるイエス・キリストにお会いし、喜んでいただくことだけだったのです。「主の日は近い」それが彼の望みでした。


3,神の平安が守られる

私たちの思い煩いを神様に委ねるなら、神様が私たちに、代わりに与えて下さるものがあります。それは「神の平安」です。その平安は世が与えるものとは異なります。あの弟子たちも平安が与えられました。復活のキリストに会い、再び信仰が回復し、そして、ペンテコステのときに慰め主であり、助け主である御聖霊が彼らに臨まれたとき、彼らの心は変えられ、喜びと確信に満たされて大胆に十字架のキリストを証ししたのです。
そして、大ぜいの人たちが信じ救われました。一度に三千人もの人たちが、その日キリストの弟子となったのです(使徒2:41)。ですから、私たちも心配するには及びません。神様が必ず、私たちの心と思いを守って下さるのです。そして、私たちに、困難や逆境をも喜ぶ力を与えて下さるのです。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)