柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストにある一致」ピリピ4章1-3節

 今、新型コロナウイルスの流行の兆しがありますが、私たちは神様から平安をいただいて落ち着いた行動をとりたいと思います。
 パウロはローマの獄中から、ピリピの人たちを励ましました。たとえそのような環境の中にいても、神様の恵みと慰めは変わることがないのです。そして信仰はどんな時にも励ましを与えることができます。

1,主にあって堅く立つ
 牢獄にいるパウロは、ピリピの人たちに「しっかりと立って下さい」と励ましました。それは教会内に様々な問題があったからです。その一つは、二人の婦人の対立でした。そのことの解決について、パウロは「主にあって」という言葉を用いて勧めています。主にあってとは、キリストの内にあってと言うことです。キリストの愛に包まれる。キリストの愛の中に生かされる。そのことは私たちにも必要なことです。別の言葉で言うならば、キリストとの交わりです。その具体的なものが礼拝です。私たちはなぜ日曜日の朝礼拝するのでしょうか。それはキリストが死の中から復活されたからです。旧約聖書の礼拝は週の終わり土曜日でした。しかしキリストがよみがえられてから、日曜日の朝に変わったのです。そして週の初めに礼拝する。それは新しい週をキリストと共に過ごすからです。まずキリストとの交わり―礼拝を私たちは重んじて、いつも主にあって生きる者でありたいと思います。
 パウロは、ピリピの人たちを「私の喜び、冠」と表現しました。当時、マラソン選手が月桂樹の冠を与えられたように、彼にとっては救われた人たちが冠であり、喜びであったのです。
 私たちは何よりも、キリストを信じるその信仰によってしっかりと立たせていただきたいものです。

2,キリストにある一致
 そして二人の婦人が出てきますが、彼女たちもおそらくはパウロの伝道によって救われた人たちであろうと思います。何が原因で仲違いしたかわかりません。最初は些細なことであったのが、教会全体にも影響を及ぼすようになったのでしょう。ローマの牢獄にいるパウロにも伝わったくらいですから。しかし、彼ら二人とも失いたくはなかったのです。なんとかして分裂を避けたい、その方法は何か。イエス・キリストです。イエス・キリストこそ私たちの最大の仲保者です。「主にあって一致して下さい。」とパウロは懇願しましたが、イエス様は彼らのためにも十字架で血を流し、罪を赦してくださったのです。十字架によって一致できないことはありません。かならず、一致できます。一致とは、同じ思いを持つことです。十字架によって罪が赦された。そのことを信じるなら、互いにへりくだることができるのです。
 そしてこのことを、真の協力者にお願いしました。彼はだれか分かりません。しかし、天国に行けばわかります。彼の協力をお願いしました。愛をもって接し、彼らのためのとりなしの祈りをお願いしたのです。私たちにもそのような人が必要です。ユウオデヤとスントケは伝道熱心だったかもしれません。あまりの熱心さに、相手のことがわからなくなりぶつかってしまった。電車でも鈍行は脱線しないけど急行は脱線する、ということです。私たちは熱心であると共に、謙遜でもありたいと思います。それは御聖霊の働きです。御聖霊は、ブレーキをかけて下さいますし、伝道の力ともなられます。私たちも御聖霊の力をいただいて、福音のために励む者でありたいと思います。パウロの願いは、3節にある通り、「福音を広める」ことでした。今日も同じです。イエス様の十字架と復活を語っていくものとさせていただきましょう。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)