柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「十字架の信仰」ピリピ1章27-30節

ピリピの手紙は、獄中書巻と呼ばれるものです。著者のパウロはローマで伝道し、捕らえられました。しかし、その中でも彼は救いの確信に満ち、むしろ牢獄の外にいるクリスチャンたちを逆に励ましたのです。なぜなら、彼の生き様は1章21節にあるごとく、生きることはキリストであり、死ぬことも益であると言いきられる信仰にあったのです。


1,キリストの福音に生きる

彼はピリピにいるクリスチャンたちに勧めました。「キリストの福音にふさわしく生活しなさい」キリストの福音とは何でしょうか。それは、キリストが罪を赦して下さった、空しい人生から充実感のある喜びに溢れた人生として下さった、そのように生きるということです。ピリピの町でパウロはキリストを伝えました。
紫布を売る女商人とその家族が救われました。おそらく彼女は経済的に豊かであったでしょう。しかし、心は満たされていなかったのです。彼女は、自分の心を満たして下さる神を求めていました。そして、パウロが川岸で祈り、そしてキリストを語るのを聞き、彼女は心を開いてキリストを受け入れ救われたのです。そして家族も洗礼を受けました。また、悪霊に取り憑かれていた女性も、悪霊から解放され自由を得ました。それは御聖霊の働きです。今、現在も悪霊は働いています。私たちを悩まし、苦しめます。しかし、神様は悪霊を縛り追い出し、私たちのうちに平安と勝利、喜びを与えて下さる方です。そして、看守と家族も救われました。看守は自殺しようとしたところをパウロに止められ、イエス・キリストを信じて、そして家族全員救われたのです。彼らは集まり、ピリピの教会が誕生しました。会堂はありませんでした。しかし、彼らは信仰により交わり、御言葉に励まされまた、パンを裂き一つとなっていたことでしょう。現実には、パウロの伝道を献金と祈りを持って支援していたのです。
そして、獄中に捕らわれたパウロはなおも、その中から喜びに満たされて彼らを励ましたのです。それは御聖霊によるものです。そしてまた、彼らにも霊を一つにし、心を一つにして福音の信仰のために、奮闘することを励ましているのです。まさにお互い、困難な中にも聖霊によるところの励ましを持って前進することができるのです。それが、キリストの福音にふさわしい生活、生き方であると言うことです。


2,十字架の信仰

28節に、滅びのしるし、救いのしるしとありますが、何を指しているのでしょうか。そのしるしとは何でしょうか。それは十字架です。十字架は信仰の反対者には滅びのしるしです。しかし、私たちにとっては救いのしるしなのです。サタンはキリストを十字架にかけ滅ぼそうとしました。しかし、それは逆にサタンの完全な滅亡となったのです。確かにサタンはキリストのかかとを打ちましたが、逆に十字架によりサタンの頭は打ち砕かれたのです。それは創世記3章15節で預言されたことが成就したのです。十字架は勝利のしるしです。なぜなら、十字架によって私たちの罪が赦されるからです。すべての罪が十字架によって赦される。このことをパウロは実体験しました。キリストを信じることによってすべての罪が赦された。その喜びが彼の生涯、生き方を180度変えたのです。
彼はキリストによって生きる者となりました。どんな困難にも負けないくじけない心が与えられ人生の勝利者となったのです。それは私たちも同じです。十字架によって私の罪は赦された。これほど大きな救いはありません。死をも恐れません。十字架は救いのしるし、罪の赦し、永遠のいのちのしるしなのです。ですから私たちは、信仰による戦いは完全に勝利できるのです。なぜなら、十字架で死んでよみがえられた主が共におられるからです。この方によって私たちはサタンとの戦いに勝利できるのです。ですからキリストのための苦しみを賜り、パウロと同じように信仰の戦いを経験し、そしてその勝利に与ることができるのです。
私たちの心になおも、十字架と聖霊の信仰をいただいて、サタンに勝利し、喜ぶものとさせていただきましょう。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)