柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「献げる恵み」Ⅱコリント8章1-9節

このところでは、献金のことについてパウロはコリントの人たちに語っています。


1,神の恵み
 献金は、神の恵みです。恵みとは受ける値打ちも資格もない者が素晴らしいものを受けることが出来る。それが恵みです。クリスチャンには素晴らしい恵みが与えられています。それは、永遠のいのちです。死んでも生きることが出来ます。復活します。天の御国で永遠に喜んで、感謝して生きることが出来ます。それが神の恵みです。
 その恵みは、コリントの教会にも与えられていました。しかし彼らはそれに気づかず、バラバラになっていたのです。しかし第一の手紙を通して悔い改め、信仰的にしっかりしてきました。彼らにパウロ献金の勧めをしたのです。
 マケドニアの諸教会が出ていますが、ピリピやテサロニケなどギリシャ北部にある小さな教会です。彼らは信仰の試練に遭いました。また、貧しい地域です。でも彼らは一生懸命献金したのです。
 その原動力は何か。満ちあふれる喜びです。永遠の滅びから救われて、天国に行ける。その喜びが彼らの原動力となったのです。4節に「聖徒たちをささえる」とありますが、おそらくユダヤにいるクリスチャンたち、当時ユダヤは激しい飢饉と大地震が起こったと言われています。その窮乏を聞いて、貧しいマケドニアのクリスチャンたちは3節にある通り、自ら進んで、力以上に献げたのです。


2,キリストの恵み
 なぜマケドニアのクリスチャンたちは、力以上に献げることが出来たのでしょうか。それは、主イエス・キリストの恵みを知っていたからです。
 「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた」と言うことです。それは天の御位を捨てて、私たちと同じ人間になって下さったということです。原語では物乞い同然の貧しさということですが、貧しさの極みは十字架ではないかと思います。イエス様は十字架にかかってすべての罪を赦して下さいました。マケドニアのクリスチャンたちは知っていました。ですから十字架を覚えて彼らは、進んで、力以上に献げたのではないかと思います。
 そして、悔い改めたコリントのクリスチャンたちはどうだったのか。9節には、あなたがたは…知っています。と言っています。十字架により罪赦され、もう一度信仰に立ったクリスチャンたちは知っている。神様の恵み、そしてキリストによる十字架の罪の赦しを知っているのです。赦された人は、心燃やされます。あのペンテコステの日の弟子たちと同じようです。 それは、神の愛のなせる業です。実はコリントのクリスチャンたちにもキリストの愛は与えられていたのです。彼らは立ち直ることが出来ました。
 そして、さらに8節にある通り、この恵みのわざにも富むようになって下さい。それがパウロの願でした。
 私たちも、神様の愛を豊に受け、自分に成された十字架の罪の赦しがどれほど大きなものであるのかを知って、この献金の恵みの業に富む者とさせていただきたいと思います。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)