柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主に帰る」使徒17章24-31節

先週は、教会の裏で山車が出て祭り囃子が聞こえました。日本も神社仏閣が多くありますが、ギリシャアテネも同じように偶像・神殿の多い町でした。その中で彼は真の救い主イエス・キリストを伝えたのです。

1,万物創造の神
 アテネにもたくさんの偶像がありました。しかし、それらは人間によって作られたものです。よく言われることは、神には二種類ある。人間がつくった神か。人間をつくった神か。「が」と「を」では全く違います。聖書の神は人間を造られた神、天地万物の創造主です。
 ですから、人間が作ったものの中に住まわれることはありません。そして、人間が世話をしなければ存在できない方ではありません。むしろ人間にいのちを与え、息をするものとなり心と体を持った存在として造られる方なのです。
 そして神様は人間に、国や時代そして国境をも作られました。それが今日までに至っていることです。色んな国があり、人種があり、ものの考え方、そして国境隔たりがあるのです。そのことにより私たちには問題が生じ、解決を探るべくいろいろな苦労をすることになるのです。
 大阪でG20の会議がありましたが、まさに26節の様子が語られているものではないかと思わされます。

2,神の解決
 なぜならこれらのことを通して、解るものがあります。一人の力で解決出来ないということです。さらには、人間を遙かに超えた方によって解決は与えられると言うことです。
 人間は暗中模索しますが、神様は近くにあって解決を与えられます。人間は切羽詰まったときに「神様」と叫びます。幼い幼児でも「ママ」と叫ぶのと同じです。神様は、人間に心の中で神を求める思いを与えられたのです。そして、見いだすことができる。遠く離れてはいない、と私たちに約束されています。 
人間は目で見えるものしか信じられません。ですから、偶像を作ったり、神の住まう宮を作ったりします。しかし大切なのは、自分を造って下さった神を求めることです。神は偶像でもなければ、人間が作った宮などに住んで居られる方ではありません。
 それではどうすれば見いだせることが出来るのか。「悔い改めを命じておられる」と聖書にあります。真の創造主、救い主である神を求めることです。その神様はどのように知ることが出来るのか。聖書です。聖書を通して私たちは真の神様を見いだすことが出来るのです。
 31節には、義をもって世界を裁く一人の人とあります。それはキリストです。神の正義を持って裁かれる、それは十字架によって裁かれることです。私たちは自分で正しいと決定出来ないのです。なぜならすべての人は罪を犯したために栄光を受けることが出来ない。神の義とは、キリストが身代わりとなり十字架に死んで罪を赦して下さったことです。十字架により私たちは義と認められることが出来るのです。
 そしてキリストはよみがえられました。復活によって私たちに永遠のいのちを保証されたのです。私たちは救われるために十字架と復活が必要です。そのことはこの聖書にすべて記されています。そのことを信じるなら救われる。その保証を神様は御言葉と御聖霊によって、私たちに与えて下さっておられます。
 私たちは、悔い改めて、十字架で罪を赦し復活して永遠のいのちを与えて下さるキリストによって、救いの確証を与えて頂きましょう。


(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)