柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストにあって一つ」エペソ2章11-18節

聖書の中に「平和」という言葉が出て来ます。この世で平和ほど尊いものはないと思います。今、ブラジルでオリンピックが行われていますが、平和の祭典であり、すべての国の人たちがスポーツをもって競い合うことは幸いなことです。
しかし、現実には他のところで紛争や内戦・テロが起こっています。その解決はどこにあるでしょうか。


1,キリストが平和のカギ

14節に「キリストこそ私たちの平和」という言葉があります。この手紙はエペソの教会・クリスチャンに宛てて書かれました。教会には2種類の人たちがいました。人種ではありません。信仰について2種類の人たちがいたのです。11節に異邦人とあります。神様のことを知らない、全くちがった文化・習慣に生きていた人たちです。そしてもう一つは、割礼を持つ人々、すなわちユダヤ人であり、旧約聖書の信仰で生きていた人たちです。彼らは律法を全うするなら救われると信じていました。また自分たちは選ばれた種族であり、他の民族より勝っていると考えていたのです。
しかし実際はどうであったかというと、信仰の面においては異邦人と同じでした。その信仰面というのは12節にある「キリストから離れ」という言葉です。異邦人ももちろんキリストから離れていました。ユダヤ人はどうだったでしょうか。彼らはキリストを十字架につけて殺したのです。十戒の中に「殺してはならない」と戒めがあります。ところが彼らはまったく罪を犯していないキリストを十字架にかけて殺してしまったのです。彼らはまさに、キリストから離れていたものです。生活習慣は旧約聖書のとおりに行っていたでしょう。しかし、その心は神から離れ、愛のない空しい生き方をしていたのです。異邦人もユダヤ人も「愛する」ということから全く離れていたのです。ですから、彼らの心には平安はありません。不安と恐れがあり、その解決はなかったのです。現代に生きている私たちも同じです。神から離れているなら本当の平安はありません。今の時代ほどストレスの多い時代はないかと思います。私たちに必要なのは心の安息であり、平安なのです。その実物教訓をイエス様はガリラヤ湖で現されました。弟子たちが夜中舟に乗っていると嵐に遭い、舟が沈みそうになりました。しかし、イエス様は波風を静められました。イエス様は私が与える平安はこの世が与える平安とはちがうと言われたのです。私たちもキリストの平安が与えられるならすべての事に勝利できます。


2,十字架の和解

心の恐れの原因は、神から離れることです。アダムとエバは罪を犯し神から離れてしまいました。彼らは悔い改めることをしませんでした。ですから、祝福ではなく呪いを受け、様々な苦しみや困難を受けるものとなったのです。
神から離れてしまう。それは、悪いことをして報いを受けるのを恐れて逃げることです。それは解決になりません。罪に対する神の裁き怒りを静めるものは何か、十字架です。十字架によって神様はその怒りを静めて下さいます。それを実行されたのがイエス・キリストです。神のひとり子です。キリストの十字架の死によって父なる神は怒りを治め、十字架のゆえに私たちを赦して下さるのです。ここに本当の和解、罪の赦し、十字架による救いがあるのです。その十字架によって救われた人たちは数知れません。嘘をついたペテロも迫害したパウロも怒りの子ヨハネもすべて十字架によって赦され、神と和解しそして用いられたのです。


3,共に神に近づく

エペソの教会に2種類の人たちがいました。しかし、彼らはキリストによりまた聖霊によって、十字架を通し和解し、父の元に近づいて一つとなることができたのです。分裂していて力は出ません。勝利できません。一つとなることによって私たちも神の栄光に与ることができるのです。私たちにもキリストにあって一つとなる喜びを与えていただきたいものです。


                (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)