柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの平安」ヨハネ14章25-27節

今年は戦後73年で平和な日々が続いています。しかし私たちの取り巻く環境は大きく変化しているように思われます。周りの状況よりも、まず私たちの心の平安が問題であると思います。


1,聖霊の助け

私たちは聖書を読んで、神様の助けそして救いに預かることが出来ます。しかし、それは私たちの努力によるものではありません。それは「聖霊」が教え、思い起こさせるとイエス様は言われました。今も聖霊は働かれます。私たちが聖書を読み、理解しようとするところに働かれ、私たちを教えて下さり、またイエス様が語られたことを思い起こさせて下さるのです。
いわば、私たちの心が平安に満たされることはまさに聖霊の働きと言えると思います。聖霊とは私たちのうちに働かれるキリスト、内住のキリストです。「あなたがたのうちにいますキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)なのです。ですから、私たちはまずキリストを信じ、心の内に迎えなければなりません。この方が私たちを教え、御言葉を思い出させて、私たちを励まし力を与えて下さるのです。


2,キリストの平安

私たちは平和な世の中に住んでいます。戦争はありません。天下泰平です。ところが、この世には色んな事件や事故があります。どんなことに巻き込まれるか解りません。そのような意味では、平安だとは言い切れないのです。常に私たちは、不安に取り囲まれていると思います。健康の心配もあります。これからの将来もどのように生活できるだろうか、不安もあると思います。このギリシャ語の言葉、エイレーネの中に、平和、平安とともに、健康、福祉といった意味もあります。すべての面で、神様は私たちを守り、そして与えて下さり、私たちは平安でいることが出来るのです。
要は、何も問題が発生しないとか、問題がないことが平安であるというよりも、たとえ問題が起こっても大変な状態になったとしても、解決が与えられる。そして平安となるということが大切です。先週礼拝で、弟子たちがしいて暗闇の湖に舟に乗せられることを見ました。暗闇の中で向かい風となり、舟を漕ぎあぐねてしまう。イエス様を幽霊だと思うほどに、心が動揺し、取り乱している弟子たちの姿を見ました。しかし、イエス様は彼らに対して、「わたしだ。恐れるな」と声を掛けられ、励まし。彼らは平安を得たのです。
この世の平安は、崩れやすいと思います。すぐに変わってしまいます。世の権力や、お金、名誉といったものも、私たちの絶対的な支えとなるものではありません。何が支えでしょうか。いのちです。復活のいのちが私たちを支え、力を与え、私たちを様々な困難や苦しみから救い、力を与え、問題を克服してくれるのです。その永遠のいのちは、イエス様のみ与えることが出来るのです。


3,キリストの再臨

初代教会の希望は何だったでしょうか。それはキリストの再臨です。28節にそのことが出て来ます。イエス様は弟子たちに約束されました。去って行くけれどすぐに来られることを弟子たちに約束されたのです。それは私たちに対しても同じです。
ですから、キリストの再臨を信じたクリスチャンたちは恐れませんでした。心を騒がすことはありませんでした。彼らはキリストの約束を信じ待ち望み、そして天国へ凱旋していったからです。キリストの救いを信じた人は希望を持って、天国へ凱旋しました。なぜなら、愛の交わりに永遠に入れられることを信じていたからです。不安や恐れはありませんでした。ですから、彼らは喜んで犠牲を払うことが出来たのです。父なる神様はそのように成されることが出来るのです。キリストも完全に父なる神様に従われて、十字架に死なれました。そのことを信じる人は喜んで犠牲を払うことが出来る人です。信じない人は犠牲を払うことは出来ません。私たちは、十字架と復活の信仰に立って、揺るぎない平安を与えて頂き、この世の恐れや困難、不安に打ち勝つものとさせていただきましょう。


                (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)