柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊を受けよ」ヨハネ20章19-23節

先週は、復活祭でした。イエス様が死からよみがえられ私たちに永遠のいのちを約束して下さいました。 
しかし、それで終わったのではありません。むしろこれは始まりです。イエス・キリストの永遠のいのちがすべての人に与えられる、それを神様は願っておられるのです。
私たちの役割は、永遠のいのちを受けただけでなくそれをまた他の人たちに分かち与えることです。


1,キリストの平安

エス様は復活のよる弟子たちに現れました。戸が締めてある中に手と脇腹を見せて弟子たちに現れました。その時、シャロームと言われたのです。それはただ、挨拶の言葉だけではなかったと思います。なぜなら、弟子たちの心は恐れで一杯だったからです。ユダヤ人を恐れて、戸を閉め、鍵をかけていたのです。誰も入れないように。ですから、イエス様はシャローム―平安あれ!と彼らに言われたのです。
それは、私たちにも同じです。今私たちに必要なのは、神の平安です。安らぎです。今日は安息日です。イエス様こそ安息の主であり、私たちに本当の安らぎを与えて下さる方です。私が与える平安は、この世が与える平安と異なると言われました。イエス様の平安は、十字架を受けそれを乗り越え、よみがえるところの永遠の平安です。死に打ち勝つ勝利の平安です。ですから、彼らは安堵したのではなく、喜んだとあります。イエス様の平安に心が満たされるなら、「ほっ」とするだけのものでは喜びがわき上がるところの平安、恐れに打ち勝つ平安が与えられるのです。


2,イエス様による派遣

なぜ、イエス様はよみがえられたのでしょうか。そして、弟子たちに現れたのでしょうか。それは、彼らを遣わすためでした。救いを与えるためでした。その救いとは何でしょうか。23節にある罪の赦しです。罪を赦すために、イエス様は弟子たちを用いられました。天使は福音宣教に用いられません。彼らは悪も失敗も行いませんが、罪がわからないのです。罪の苦しみ痛みをわかりません。しかし、神様は罪人を用いられます。なぜなら、罪人は罪の苦しみ痛みを知っているからです。その、救いのすばらしさ、救われなければならない必要性を知っているからです。ですから、罪からの救いのために神様は天使ではなく、人間を用いられるのです。弟子たちはそうでした。イエス様を裏切り、自分の身を守って隠れたのです。しかし、イエス様はそんな弟子たちを愛され、用いられるのです。その弟子たちによって、罪の赦しのすばらしさが語られるのです。


3,聖霊を受けよ

ただし、罪の赦しは人間の力ではできません。それは神様の働きです。私たちは自分の力で罪を解決したり、克服することはできなかったのです。すべては十字架です。十字架によって私たちは罪赦され、解放され、永遠のいのちに与りました。そのことは、聖霊の働きです。聖霊が働かれなければ罪がわかりませんし、自覚もありません。しかし、聖霊が働かれるところに罪の自覚が生じ、救いの必要を求め、十字架によって救われるのです。
私たちは、聖霊によらなければ救われませんし、伝道もできません。イエス様は弟子たちに、聖霊を受けよと命令されました。そして、彼らは求めたのです。祈り求めて、聖霊に満たされることを経験しました。そして、十字架を語ったのです。その時、三千人の人たちが一度にイエス様の弟子に加えられました。新しい命が与えられたのです。
私たちにも、聖霊が与えられ、聖霊によって伝道し、聖霊によって新しいいのちを生み出すものとさせていただきましょう。


 (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)