柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の陰に宿る」詩篇91篇1-6節

今朝の聖書に、陰に宿るという言葉が出て来ます。今、真夏で暑さ真っ盛りですが、日向にいるよりは日陰にいる方が暑さをしのぎやすいと思います。
聖書が私たちに語っているのは単に物理的な暑さのことだけではなく、様々な苦しみや困難が来るときに私たちはどのようにすることが出来るのかを示しているのです。


1,神は避け所

いと高き方、全能者とは創造主なる神ご自身のことです。私たちは神の姿をこの目で見ることは出来ません。そしておそらくは、旧約聖書に出てくる人たちも神の姿を見た者はいなかったでしょう。しかし、エジプトからイスラエルの民を率いたモーセは、会見の幕屋で神にお会いし、交わりを持つことが赦されました。それでも神の御姿がどのようなものであるかは、聖書には述べられていません。それよりも大切なことは、隠れ場に住む、陰に宿ると言うことです。
私たちの出来ることは、神の陰に宿って、災いを乗り越えることです。2節に「避け所」とありますが、まさに神様は避難所です。岡山・広島で豪雨災害がありましたが、多くの人が避難所にいって助かったことを聞いています。災害が起こったなら私たちも避難しなければなりません。
しかし、日々の生活で、私たちも苦しいとき、辛いときがあると思います。その時、どのようにして、その災いを克服することが出来るのでしょうか。
この詩篇を詠んだ人は、「わが避け所、わがとりで」と謳いました。神様ご自身が、避け所となり、とりでとなって下さるのです。昨年、北朝鮮からのミサイル発射がありましたが、シェルターが売れたそうです。攻撃から身を守るために必要でしょう。しかし、私たちの日常に攻撃してくるものがあります。人との係わりや、人からの言葉によって私たちは傷ついたり、希望がそがれたりすることがあると思います。誰が私たちを守ってくれるのでしょうか。
それが、全能者であり、いと高き方なのです。その方は「私の信頼するわが神」と作者は歌っています。これを書いたのはダビデともいわれています。彼は、サウル王に誤解され、妬まれついには命まで狙われました。それでも彼はサウル王を殺そうとはしませんでした。それ以上に、神様の守りを信じ、そして神こそが、隠れ場であり、親鳥の羽の下で、身を避けるヒナのように安んずることが出来ると歌ったのです。
クリスチャンには賛美があります。なぜか。救われたからです。救って下さる神をほめたたえることが出来るのです。おそらくは、お寺や神社で、賛美するのはあまり聞いたことがないと思います。しかし、教会では必ず賛美があるのです。それは神様に感謝を献げ、喜びをもって褒め歌いたい素直な気持ちを賛美であらわすのです。


2,神は救い出される

私たちは、ただ神を避け所としているのではありません。「」とりで」とあります。戦いの場です。しかし、私たちの戦う相手は人ではありません。神に敵対するサタンとの戦いです。その戦いにも、神は砦となり、また大楯となって、私たちを守って下さり、勝利を与えて下さいます。
悪魔は人を滅ぼすために、様々な罠を仕掛けたり、病や、恐怖をもって滅ぼそうとします。しかし、身を神に隠すことによって災いから逃れることが出来るのです。かつてエジプトを脱出するときに、最後の災いは「初子を殺すことでした」しかし、柱と鴨居に羊の血を付けたイスラエルの民は災いが通り過ぎたのです。そこから過越の祭りが始まり、私たちに取っては「キリストの十字架と復活」につながっているのです。
いわば、十字架こそが、私たちの隠れ場であり、翼の下に身を避けることなのです。そして、キリストの復活こそが「夜の恐怖も恐れない、飛び来る矢も恐れない」信仰の勝利となるのです。


  (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)