柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の約束とあわれみ」詩篇106篇40-48節

聖書は字のごとく、聖なる本であると思っている方が多いのではないかと思います。しかし、読んだらわかるのですが、決して良いことばかり書いてある本ではありません。それでは、聖書を読んで何がわかるかと言いますと、人間の真実な姿がわかる本、そして自分自身が何ものであるかがわかる本と言えます。
聖書を読めば、自分は救われなければならない、やがて滅びが来る、その滅びから救われなければならないことがわかるのです。


1,不信仰の歴史

この聖書の箇所は、士師記の内容だと言う聖書学者がいます。士師記とは旧約聖書の前の方にあります。ヨシュア記のあとです。ヨシュア記とは、エジプトを脱出したイスラエルの民が約束の地カナンに入ることが記されています。
もともと、信仰の父アブラハムが神様の導きによってそこに移ってきました。しかし、飢饉が起こりユダヤの民はエジプトに下りました。しかしそこで、奴隷としてこき使われ、神様に救いを叫び求めたとき、神様はモーセをたて、約束の地に上らせたのです。そして、後継者ヨシュアによって約束の地カナンに入り征服していったのですが、彼らは導かれる神様に背を向け、その地の住民と妥協し、ついには先住民に隷属するような生活を強いられたのです(42節)。
それは、神様が悪いのではなくイスラエルの民の不従順、不信仰が彼らに災いを下したのです。それは、今日でも同じことです。なぜ私たちに災いが下るのか、それはもう一度自分自身が神様の前にどのようなものであるべきか考えるときが与えられているのです。むしろそれはもう一度、神様に立ち返り恵みにあずかるチャンスの時です。「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである」(伝道の書 7:14) 。


2,神の約束

イスラエルの先祖は誰であったのか。アブラハムです。彼は元もとカルデヤのウルという町から来た人です。外国人でした。しかし、彼は真の神様を信じて、豊かになった人です。甥のロトを助け、財産も非常に豊かに与えられました。しかし彼は家を建てませんでした。生涯テント暮らしでした。彼は豊かだったのですが、なぜそうしたのでしょうか。彼は自分の住むべき所は天国だ、そう信じていたのです。ですから、彼はこの地上に終の棲家を建てなかったのです。それは、ヘブル11:9に記されています。彼は先住民とは同化しませんでした。息子イサクの嫁も近くにいる異邦人ではなく、遠くにいる同族のものからめとりました。それが、信仰による祝福です。喜びが与えられるのです。そして、神様はアブラハムに子孫を星の数のごとくに与えると約束されたのです。
その約束を神様は思い起こされました。自分が約束した限り、神様はご自身の約束を必ず守る方です。そして、その約束を必ず実行する方です。神様は、ご自分の約束をご自分の故に守られ、実行されます。それを私たちは、ただ素直に信じて受け入れたらそれで良いのです。それが信仰です。
士師記の後はサムエル記がありますが、その記録では、神様はイスラエルを憐れみ、彼らを助けられました。そして、ついには一介の羊飼いであったダビデを選び、彼をイスラエルの王として約束の地を治めさせたのです。


3,神の憐れみ

44節を見ますと神様の姿が語られています。神様は、私たちを見ておられる方です。見るだけでなく憐れまれる方です。母親は自分の赤ちゃんが泣くと、ミルクが欲しいのか、おむつが濡れているのか心配し世話をします。それと同じように、神様はご自分の民が苦しんでいるのを放っておかれる方ではありません。
私たちは、苦しみの時黙っていてはいけません。イスラエルの民の様に叫ばなければなりません。助けて下さいと大声で神に呼ばわるのです。その呼ばわることは、祈りです。
47節に「主よ。私たちをお救い下さい。」とありますが、そのように祈ることです。神様は聞いて下さいます。そして、救って下さるのです。神様は必ず問題を解決して下さるのです。そのことを信じて、神様に祈り求めましょう。


            (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)