柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神を見上げて生きる」詩篇81篇

『神を見上げて生きる』
聖書箇所:詩編第81篇
中心聖句:『わたしはわが民のわたしに聞き従い、イスラエルのわが道に歩むことを欲する。』(詩編第81篇13節)


詩編第81篇は、イスラエルの仮庵の祭りの為に歌われた詩であろうと言われています(レビ23章23-34節)。この祭りでは律法が大きく朗読される習慣があり、その朗読の中で、詩人はイスラエルの民は自分達の罪の性質と、それに対する神の憐みと恵みについてを活き活きと語ります。

イスラエルの民は、神様に選ばれた特別な民で、モーセによってエジプトから導き出され、砂漠の中で神様の数々の奇跡を目撃しました(出17章7節、19章16節、20章18節、民20章1-13節)。また、自ら神の民となると宣言したにも関わらず、主を裏切って、主に服従する道を選びませんでした。神が居るなら奇跡が起こるはずで、それを見れば人は信じるはずだと思われる方もいるかもしれませんが、人間には生まれながらの罪の性質である「原罪」がある為に、例え奇跡を目の当たりにしても、神の存在を受け入れて恐れる事はないのです。ここに人間の罪があります。

主は正しい方なので、そのような人間の罪をお許しになりません(黙示録20章11-15節)。しかし不思議な事に、主は罪に対して、償いや対価を求められることがありません。主が求められるのはただ、悔い改めて自らに聞き従う事に尽きるのです。
当然対価は支払う必要があります。しかしその対価は、主ご自身が、大切な独り子であるイエス・キリストを十字架にかけるという形で支払って下さいました。主は、私達に対して謝罪や償い、賠償を求められず、ただ悔い改めて自ら見上げるようにと、それだけを求められるのです。ここに主の本質があります。

主が私達に真に求められていることは、私達が主の存在を知って、主を見上げて生きて行こうとする決断です。これを回心と言います。私達がどれほど罪を犯して主から離れていても、主は私達の所まで迎えに来てくださり、私達に回心するようにと語り掛けて下さいます。私達は主に背を向けてきた今までの生き方を悔い改め、自らが罪びとであると認め、回心の決断を行い、キリストの十字架を受け入れるならば、私達の罪は全て赦されて、主と共に生きる光の人生が与えられるのです。

主は16節の祝福の言葉をもって私達を迎え入れて下さいます。私達は恐れずに、主を見上げて生きる決断を行いましょう。キリストを信じ、主を見上げ、顔と顔を合わせて生きる素晴らしい光の人生を、今日選択しようではありませんか。

            (宣教者:南大阪キリスト教会牧師 藤森 旭 師)