柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「罪を取り除くキリスト」ヨハネ1章29-34節

2014年新しい年がスタートしました。このところにも新たなスタートが記されています。それは救いのスタートです。それはバプテスマのヨハネが語った言葉が鍵となります。


1,バプテスマのヨハネの役割

彼の役割は救い主イエスを紹介することにありました。彼は預言者エリヤの再来であり、救い主がこの地上に来られることの先駆けであったのです。その彼は「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とイエス様を紹介したのです。
そして、彼の先駆けとしての役割は水のバプテスマを授けることでした。すなわち、ヨハネバプテスマは悔い改めのバプテスマであり、その進むべき方向を救い主イエス・キリストに向けるものであったのです。ですから、当然、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けた人々はイエス・キリストに向かうべきであったのです。しかし、ほとんど多くのユダヤ人は、罪からの救いよりも、この世の貧困からの脱却、圧政からの解放を求めるものが多かったのです。おそらく、今の日本も同じではないかと思います。経済的豊かさ、や政治の安定この世の平和を求めているのです。しかし、神様の救いは、貧しさからの救いでも、政治的虐待からの救いでも、世直し改革でもありません。私たちを、永遠の滅びから救い、神の国すなわち天国に入らせるものであるのです。


2,神の小羊

バプテスマのヨハネは、イエス様を「世の罪を取り除く神の小羊」と明確に語りました。小羊とは第一に、神のさばきに対するいけにえとしての献げ物の意味があります(出エジプト12章)。イスラエルの民はエジプトを脱出する際、神様から小羊をほふり、その血を家の柱と鴨居に付けて、初子が打たれる災いを過ぎ越すしるしとするよう命じられました(出エジプト12:13)。
そしてもう一つのことは、予言者イザヤによって語られた苦難の僕の姿があります(イザヤ53:5)。それはとりもなおさず、十字架のキリストを表しているのです。キリストは私たちの罪を負い、身代わりとなって死なれました。それは、神の裁きをご自身の身に負い、代わりに私たちを赦すためのものであったのです。
罪についてはローマ1:29〜31に目録のように記されていますが、侮ることはできません。そのようなことを行えば、死罪に当たると聖書は明言しています(ローマ1:32)。その罪が赦されるためには、キリストが十字架にかかり血を流さなければならなかったのです。それほど罪は重いものであり、火と硫黄の燃えさかる池に投げ込まれるほどの恐ろしいものです。


3,聖霊によるバプテスマ

バプテスマのヨハネはメシアの先駆けであり、悔い改めを叫ぶものでした。それは、罪を赦して下さるイエス・キリストに向きを変えさせるものであったのです。
キリストは私たちの罪を赦されます。私たちの罪を負い、私たちを十字架の血潮によって罪から浄められます。それと共に、ヨハネは「聖霊と火でバプテスマを授けられる」と語りました。それは、ただ単に洗い流すということだけでなく本質的に変わるということを意味しています。火で精錬されるという言葉があります。鍛冶屋が鉄を打ち刃物を作るとき火に入れて打ちます。私たちの魂もただ、水で洗い流されただけでは本質的には変わりません。しかし、聖霊バプテスマは私たちに本質的変化をもたらします。キリストに似たものと変えられるのです。

私たちは試みの火の中をくぐり抜け、そして聖霊に満たされることにより、全く新しい生き方をするものとなるのです。主のみわざを期待しましょう。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)