イエス・キリストは聖書に預言されていたとおり、十字架にかけられ死んで葬られ三日目によみがえられました。そして弟子たちと共に 40日間ともにおられたのですが、いよいよ天に帰えられるとき弟子たちに約束を与えられました。その約束の故に、弟子たちは大きな喜びが与えられ、神をほめたたえていたのです。
ですから私たちも弟子たちと同じように神様から約束が与えられています。
私たちも弟子たちと同じように心が喜びに満たされ、どんな状況にあったとしても、神をほめたたえることができます。
1,キリストの罪の赦し
46節に「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり」と言われました。十字架と復活のことが出てきます。
キリストが十字架にかけられたのは私たちの罪を赦すためでした。私たちは失敗したり間違えたりします。キリストの十字架は全ての罪を赦す力があります。キリストの十字架の血潮によって、罪に汚れた私たちの心をもきよめる力があるのです(Ⅰヨハネ 1:7)。 不安や恐れが取り除かれるのです。そして復活は、私たちに新しいいのちをあたえます。どんなときにもくじけない、弱音を吐かない、永遠のいのちが与えられて神の力によって生きることができるのです。
47節には「その名によって」とありますが、それはキリストの御名です。
キリストの名には力があります。使徒の働きを見ると、弟子たちは「キリストの御名」によって病気の人をいやしたり、悪霊に取り憑かれて苦しんでいる人を解放したりしています。
キリストの名によって祈ることはキリストの力が私たちに現されて、
たとえ困難な状況にあっても神様に感謝をささげ喜ぶことができるようになるのです。
2,聖霊の約束
そしてイエス様は弟子たちに大切な約束を与えられました。それは「わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。」と言われたことです。
父が約束されたものとは、もう一人の助け主、聖霊のことです。
イエス様は確かにこの世に来られ、病める者をいやし、弱い者を助け慰め、また死んだ者をも生き返らされました。しかしそれは限定的なものであったのです。
神様の目的は全世界に、ご自分の救いのみ業をなされることです。ある一部の特定の所でなされるのではなく、全ての人に、あらゆる場所、時代において神様の救いを与える、これが神様の目的であったのです。
ですからそのために、イエス様は天に帰られその代わりに、もう一人の助け主、聖霊がこられて全世界各地で神様のみ業が行われるようになるのです。
私が英国に行ったとき、クリスチャンの集まりで、それぞれの国のことばでヨハネ3:16のことばを言う機会がありました。発音はそれぞれ異なりましたが意味は全く同じでした。そして同じ信仰を持ってイエス・キリストを救い主として信じているのです。改めて、全世界にイエス・キリストを信じる信仰が伝えられていることを確信しました。まさにこれは神の働きであるとしか言えません。
神様は私たちに約束を実行される方です。聖霊が私たちに来られるとは、「いと高き所から力を着せられる」と言うことです。
テレビでパワースーツというものをみました。一種のロボットですが、それを身につけると力が何倍にもなり重い荷物や人を軽々と持ち運ぶことができるのです。便利だと思います。
このところで語られているのは、いわば心のパワースーツのようなものです。心が励まされる。心に力が与えられる。どんな困難にも打ち勝ち乗り越えていくことができる。
御聖霊が私たちの力となられるのです。
神様は、終わりの時代にこの力を与えると約束されました。旧約聖書ゼカリヤ書 4章6節に「これは権勢によらず能力によらず、我が霊によるなり」と言われた聖霊が私たちに望み、不信仰や不従順などの罪の鎖を打ち破る、聖霊の力 (ダイナマイトの力 )によるのです。
弟子たちは信じました。ですから 52節にあるように「大きな喜びとともにエルサレムに帰り」いつも宮で神をほめたたえていたのです。それは彼らの力ではありません。神様に信頼を置き希望に燃えて待ち望んでいたのです。 それが彼らの信仰なのです。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)