柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「イエス・キリストの力」 使徒の働き 3章1~10節

 神様はイスラエルの民を選び、奴隷とされていたエジプトから脱出させ、カナンの地に導かれ、与えられた。 イスラエルの民は今もカナンの地に生きている。 聖書に書かれていることは、造り話ではなく、実話である。聖書の神は物凄い方です。

 この神様を味方にするなら物凄い恵みがある。しかし、この神様を敵に回すと恐ろしい事になります。どうしたら 、神様の味方にして頂けるのでしょうか?


1、神様は物凄い方であるが、私たちを愛して、御子イエス様を十字架にかけて殺し、私たちを救って下さる方です。

 神様は私たちを愛して御子イエス・キリストを人として生まれさせて下さいました。
ところが、その一番大切なイエス様 は 十字架で殺されて死んでしまった。
なぜ、助けなかったのでしょうか?
「もしイエス様を助けたら、イエス様は素晴らしい王様になっていたかもしれない。」
しかし21世紀の今、生きる私たちとは何の関係もない、2000年前に生きていた偉人で終わりです。

 神の御子は罪の全くない方だからこそ、私たちの私の、罪の身代わりになって下さり、私が罰を受ける代わりに、十字架という物凄い罰を代わりに受けて、死んで下さった。

 

2、十字架に架かられ、死なれましたが、復活、よみがえられたのです。

①ペテロとヨハネ ※自分の情けなさに泣いた

ゲッセマネの園でイエス様が 捕らえられた 後、2人はずっと一緒にいた。
・2人は、 ゲッセマネの園からイエス様 の後を離れた所から着いて行った
・大祭司の庭 に入れたのは、裕福な家の息子ヨハネがそこによく出入りしていたから
・焚火に当たりながら、様子を見ていた。
「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」の言葉に
「違う」「弟子ではない」と裏切ったペテロ、
・それを 聞いていて、黙って、助けないで見ていたヨハネ福音書に詳しく書く)


ペテロ
・・・強く立派・イエス様の一番弟子 ―――大祭司の庭での大失敗
      ――泣くもう人間やめたい。深刻です。
そうしなかったのは・・・ イエス様が「立ち直ったら、皆を励ましてくれ」と言われたから

クリスチャンとそうでない人の違い。・・・・イエス様の復活にある!


・復活の朝、墓まで2人一緒に走って行った。40日の間復活の主に赦された。
 復活の主は: 知ってる、分かってるよ
情けない自分に自信のない心、これから、どうしていったら良いのか分からないペテロの心、
ヨハネの心・・・

もう一度、自分の命、将来、握っているもの全部イエス様にお献げした――約束の聖霊降臨


ペンテコステ聖霊が与えられた。

聖霊降臨の日イエス・キリストを信じる者が3000人程与えられて、
 洗礼を受けた。
2章46節:今まで通り、神殿に行って礼拝していた。
おとなしいユダヤ教の一派とみなされ、あまり、影響力がない。
ほっといても、支障が無い


ここからは違う!
:午後3時ごろ運ばれてきた、生まれつき足の不自由な人、
         (足が悪くて、社会保障もない時代、神殿で大勢の人が集まっている
         所で、物乞いをする以外に方法はない。)


・ペテロとヨハネはイエス様に遣わされ、イエス様の名による力を頂いて、
 出かけていって人を癒した経験がある。→しかしイエス様はもういない。
・私のうちにある。いて下さる方 ----イエス様の代わりに来られた、
 聖霊なる神様がおられる。

②金銀はない:お金だけではない。力も自負心も熱心さや信仰深さもない

③ 私にあるものがある:
    心の内に主がおられる:聖霊なる神様が心の中におられる。
              イエス様そっくり・同じご聖霊

 

3、私たちも信じ従うなら、形は違うかも知れないが、ご聖霊により、今も生きておられる主を現すことができる。

3:12・・・自分の力や信仰深さによって、奇跡が起きたのではない。
3:16・・・イエスの名 :イエス様が この人を癒した。


① 今2023年、 2000年たった私たちの状況はペテロの時と同じ。
 目に見えてイエス様は ここにおられない。


②ご聖霊が信じる者の心に「ある」「住んで」下さる。


③イエス・キリストの名により祈る=応えられる、みことばが励ます、
 聖霊の励ましがある。

 

結論・まとめ
  :主イエス様の大きな力 ・・・ 私たちを救う力。私たちのうちに住んで下さる力
   私たちが主イエス様を心のうちに頂いている事を信じるなら、
   主イエス様を現す者になれる

 

(宣教者:柏原教会 副牧師 西本秀子)