柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「私が共に行く」 出エジプト記33:11-16

ここには大変素晴らしい御言葉が出てきます。それは、14節です。「わたし自身が一緒に行って、あなたを休ませよう」という御言葉です。前の会堂には講壇の上に「我親(みすから)汝と共に行くべし、我汝をして安泰(やすらか)にならしめん」とありました。この御言葉によって教会が始まり、前進してきたと言っても過言ではないと思います。
 イスラエルの民がエジプトを脱出し、荒野を旅し、約束の地カナンを目指す、途中のことでした。私たちの人生も、旅にたとえられます。徳川家康は「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし」と言っています。しかし、聖書を見ますと人生の重荷から解放される、自由になる道があることがわかります。

1.神御自身が共に行かれる。
荒野を旅することは、モーセにも、イスラエルの民にも楽なことではありませんでした。旅の途中で、イスラエルの民はエジプトがよかった。肉も野菜もたくさん食べることができたのにとつぶやき、不満を言って、滅ぼされることが出ています。さらに、モーセシナイ山に登り、なかなか帰ってこない。民は、不安になり、目に見える偶像を作り、それをを拝み、偶像礼拝の罪に陥る過ちを犯してしまいました。それ故、神様は民を打たれた、と32章35節に出てきます。
それどころか、もう私は一緒に行かないと神様はいわれました。神様は怒ったわけです。しかし、モーセもあきらめませんでした。神の友といわれたモーセは「神様が一緒でなかったら、行きません。」と言いました。それ程までに、神を求め、また彼は神を愛する人でした。
そのモーセに神様は「わたし自身がいっしょに行く」そう答えられたのです。
これほど心強いものはありません。

2.安息が与えられる。
14節に「あなたを休ませよう。」とあります。神様は私たちに、休息を与えてくださるのです。休みを得るなら、力が回復し、再び元気になって働くことができます。
ある英語の訳ではVictory 「勝利」とありました。イスラエルの民が荒野を通り、約束のカナンの地に行っても周りは敵だらけでした。自分たちの力で戦いに勝つことはできません。しかし、全能の神は彼らに約束で安住することを約束されました。
申命記12章10節で「主があなたがたの回りの敵をことごとく取り除いてあなたがたを休ませ、あなたがたが安らかに住むようになる。」そう約束されたのです。

それは、私たちにも当てはまります。この世においては、様々な戦いがあり、私たちを責めてくるものがあります。しかし、主が私たちを責めてくるもの、敵をことごとく取り除いて、休ませて下さるのです。私たちの代わりに主が戦われ、私たちに勝利と平安、たましいの安らぎを与えて下さいます。 
その安息、休みを与えて下さるのは誰か、新約聖書には明確に出ています。マタイ11章28「 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」イエス・キリストこそが安息の主、私たちを休ませてくださる方です。キリストを信じ、重荷を委ね、すべてをお任せして、たましいの安らぎを与えていただきましょう。

                        (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)