柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「豊かに実を結ぶために」ヨハネの福音書15:16-17

 聖書にブドウのことがよく出てくるのですが、それは単に果物としてのブドウではなく、霊的な意味があります。一つには、イスラエルの民を表し、また私たち自身のことであり、豊かに実ることを象徴するものです。
 誰でも、豊かさを求めます。お金を儲けたい、有名になりたいとか、この世であります。それは本当に、自分の心を満たすでしょうか。むしろ、この世のものはむなしく過ぎて行きます。それよりも永遠に残るものを得ていただきたいのです。それでは、私たちが豊かに実を結ぶには、喜びに溢れるにはどうしたらいいのでしょうか。


1.神の選びを信じる。

 16節を見ると「わたしがあなたがたを選び」とあります。
この聖書の言葉によって、救いの確信を持った方も多いと思います。
わたしとは誰でしょうか。イエス・キリストです。イエス様が選んでくださった。その選びの責任は、イエス様にあるということです。私たちを選んでくださったイエス様が、私たちの責任を取ってくださるのです。すべては、選んでくださった方にお任せすることです。
信仰は神に委ねること、お任せすることです。


2.父なる神様が与えてくださる。

 16節の終わりを見ると、「父があなたがたにお与えになる」とあります。父とは、全能の神様のことです。その神様が私たちの人生を豊かに、実りあるものとされるのです。そのために、一つの大切なことがあります。それは2節に出てくる「刈り込み」です。難しい言葉では剪定とも言います。ブドウの実が豊かに実るためには、この剪定作業は欠かせません。それをしないと、良い大きな実のブドウがならないのです。この刈り込みは、私たちにとっては「試練」です。試練の後には成長があり、必ず実を結ばせて下さるのです。たとえ「試練」が私たちを襲ってくるように見えても、もっと多くの実を結ぶために与えて下さるのだと、信仰をもって受け止めたいとおもいます。


3.互いに愛し合うこと

 私たちが自分の人生、生活で豊かになりたいとするなら。イエス・キリストが言われたように「互いに愛し合うこと」です。解っていてもなかなかできないことです。あのイエス様の弟子たちはどうだったでしょうか。彼らは最後の最後まで、だれが一番偉いかと議論していました。彼らは互いに愛し合う状態ではありませんでした。その結果どうだったでしょうか。彼らは、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。今の私たちも、同じかもしれません。自己主張し、都合が悪くなれば隠れてしまう。おおよそ心の豊かな人生とは言えません。

 イエス様は愛し合うよう言われました。12節を見ますと、「わたしがあなたがたを愛したように」とあります。イエス様はどのように愛されたでしょうか。最後の晩餐の席でイエス様は弟子たちの足を洗われました。それは奴隷の仕事でした。しかし、イエス様は弟子たちの足を洗われたのです。3度知らないと否定するペテロの足も、銀貨30枚で裏切るユダの足も丁寧に洗われました。それがキリストの愛です。主は私たちの心をも洗ってくださいます。十字架の血潮を流し、私たちの心をきよめられます。その愛を豊かにいただくなら、人を愛し受け入れることができるのです。

 キリストの愛をもって、互いに愛し合うとき私たちは豊かになり、多くの実を結ぶことができるのです。


                         (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)