柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主に堅く立て」

9月最初の日曜日は、ラリーデーと呼ばれています。長い間の夏休みが終わり、信仰を奮い立たせるためにアメリカで始まりました。

今日も神様は変わることなく、御言葉をもって私たちを励まし強めて下さいます。

1,見習う信仰

パウロはかつてキリストの敵対者でした。しかし、復活のキリストにお会いし、人生が変わりキリストに従う人となったのです。彼はそのことを証し、信仰によって生きる人となりました。それ故に「私を見習う者になって下さい」と確信を持って言える人となったのです。私たちも自分の信仰を人に明確に証しできる人になりたいと思います。


2,十字架の敵

しかし、この世は良いことばかりではありません。悪いこともあります。パウロがここで語っているのは信仰の世界のことです。私たちはこの世に生きていますが、クリスチャンになると新しいいのちが与えられます。永遠のいのちです。目では見ることができません。しかし、信仰・確信が心の内に与えられます。 パウロ目から鱗が落ち、神の真実が見えました。そして信仰の目を通して見ると今まで見えなかったものが見えてきたのです。そして彼はこのことを、涙を持って語っているのです。
十字架に敵対する者はすなわち、地上だけの事にしか過ぎないこと、そして欲望から出ている。それは栄光ではなく、恥さらしであり、永遠の滅びである。ということです。それが、パウロには解りました。また私たちもイエス・キリストの十字架の意味がわかるなら、19節の事が解り、この世はなんと空しいものであるのかが解ってきます。


3,天国の国籍

しかし、それ以上に素晴らしいことがあります。それは、国籍が天にあることです。パウロは生まれながらに、ローマの市民でした。ですからユダヤ人が彼を訴えてきたときに、守られ兵士がついて彼を護送し、ローマへと送られたのです。市民としての特権があったからです。私たちは地上の市民権委譲の者が与えられています。それは天国市民としての権利です。キリストは私たちの朽ちるべきこの体をも、21節にあるように、全能の力を持って私たちの卑しい体でさえも、ご自身と同じ栄光の体に変えてくださることができるのです。
それが、私たちクリスチャンに対する神様の大いなる恵みであり特権です。パウロはそのことをただ信じる信仰によって得ることができ、大いなる感謝を持ってこの福音を伝えたのです。4,主に堅く立つ
4章1節は、3章の締めくくりの言葉です。パウロはピリピの信徒をほめたたえ、私の冠よ、といっています。人生の勝利者です。必ず栄冠が与えられるのです。天国には入れる喜びが表現されています。そして何よりも「主にあってしっかりと立って下さい」とパウロは命令しています。この世では、頑張れと励ましの言葉を与えますが、クリスチャンはちがいます。「主にあって」という言葉が大切です。主にあってとは、キリストのうちにあるということです。別の言葉で言うなら、キリストと交わるということです。ヨハネの15章を見るなら、私はまことのぶどうの木あなたがたはその枝である、とイエス様は言われました。
キリストにつながっていなければ、イエス様との交わりがなければ豊かな実を結ぶことができないのです。あなたはイエス様としっかり交わっていますか。イエス様によって信仰の実をしっかりと結ばせていただきましょう。 


      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)