柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「悔い改めて信じる」マルコ1章15節

8月も今日が最後の週となります。今年の夏は雨で始まり雨で終わる感があります。7月初めには九州北部豪雨災害がありました。また、関東や東北では記録的な長雨となりました。先週もテレビを見ていると、中国で大きな台風の災害がありました。単なる異常気象と言うよりも地球温暖化によってもたらされている災害のように思います。
何処に行っても地上の楽園はありません。何処に私たちは永遠の住処を見いだすことができるでしょうか。
2000年前のユダヤも同じでした。ローマに占領され、苦しみと貧困に多くの人は喘いでいたのです。その時に、イエス・キリストは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と語られたのです。このことは過去のことではなく、今の私たちにも語られている神のことばです。


1,神の国
神の国とは何でしょうか。それは神が支配されている所という意味があります。そして大切なことは、自分の心が何によって支配されているか。何によって満たされているかです。
ソロモンは「油断することなくあなたの心を守れ。心はいのちの泉の湧き上がるところである」(箴言4:23)と言いました。心に何があるのか。それがあなたの人生を決めるものとなります。
(1)悪魔に支配された心
 この間も、スペインのバルセロナでテロ事件が起こりました。多くの人が犠牲となりました。全くの身勝手な犯行、悪魔に支配されているとしか思えない事です。
(2)空しい心
 心を導くはっきりとしたものがない。浮き草のように流行にながされ、うつろとなって右に左にさまよって行く。そんな人が大勢います。
(3)分裂した二心
 あれがいいのか、これがいいのか悩んでしまう。自分ではっきりと決心ができない。良いと思ってもそれを実行できない惨めな悩める心です。
まさにそれらのものは、この世を代表するものです。そうしたものが私たちのうちにあるなら、心は不安であり、希望を持つことも、やる気もなくなってしまうのです。
誰が心を治めてくれるのか、どうすれば心は平安になり喜びに満たされるでしょうか。それができるのは神様だけです。それ故にイエス様は、神の国は近づいたと言われているのです。
なぜ、私たちの心に平安がないのか。そして、この世で争いが絶えないのはなぜか。聖書は明確にその問題点を指摘しています。それは、人間に罪があると言うことです。ある心理学者は、もし人間の心から罪の恐れがなくなったら、世界の精神病院の90%は空っぽになるだろうと言ったそうです。この罪の解決なしに、本等の平安、平和はないのです。
罪など忘れてしまえと言っても忘れることはできません。寄付をしたり、善行に励んでも、心の中に隠されている罪は消すことができません。
頭が悪いからといって地獄に落ちることはありません。貧乏だからと言って永遠に滅びるものではありません。しかし、罪の支払う報酬は死であると永遠の滅びを聖書ははっきりと指摘しています。罪の解決なしに、神の国、天国には絶対に入れないのです。


2,悔い改め

それではどうしたらよいのでしょうか。イエス・キリストは悔い改めなさいと言われました。自分の罪を悔いて改める事です。別の言葉で言うなら、心が砕かれることです。
たとえばダビデ王はどうでしたか。姦淫の罪と殺人の罪を犯しました。それを指摘されたとき、彼はそれを神の前にも人の前にも認めて、赦しを求めたのです。赦して下さいと祈ったのです。それが、心砕かれること、悔い改めと言うことです。
私たちは、悔い改めたでしょうか。心砕かれたでしょうか。私たちの悔い改めのために、イエス様は十字架にかかられたのです。そして、父よお赦し下さいと祈られたのです。それは、私たちの罪の赦しのためであり、私たちが悔い改めて救われるためだったのです。
悔い改めなければ、平安はありませんし、救われません。永遠の滅びに行ってしまうのです。罪を認め、悔い改めて、罪の赦し、永遠のいのちを与えて頂きましょう。


  (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)