柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「教会の交わり」1コリント11章17-25節

今日は母の日です。今から110年前、アメリカのウエスバージニア州の小さな教会で、アンナ・ジャービスがお母さんを偲んで、記念会にカーネーションを配ったのが始まりとされています。教会学校で「あなたの父と母を敬いなさい」との十戒の言葉を聞いて思い出したのが心に迫り、お母さんの好きだったカーネーションを配ったのです。
教会とは、建物のことではなくむしろ、そこに集まっている人たちの交わりであると言えます。初めからは、会堂はありませんでした。個人の家で集まり、交わりを持って礼拝していたのです。


1,教会の問題

コリントの町にも福音が伝えられ、救われる人たちが起こりました。そして、教会となったのです。ところが問題が発生したのです。コリントの教会の問題は、分裂です。人間的に好みが会う人同士がグループとなり、バラバラになってしまったのです。そのためにパウロはこの手紙を書きました。17節には非常に強い言葉で非難しています。「私はあなたがたをほめません。かえって害になっているからです」と。
 なぜそれが起こったのか。それは、「食事のとき」と21節にあります。食事は楽しいものです。食事によって、和やかに交わりを持つことができます。おそらくその当時は、持ち寄りで、みんなで分け合って食べていたことでしょう。ところが問題は「我先に」と自分のことしか考えない人たちがいたと言うことです。そして、自分だけがたらふく食べて満たされる。それは、浅ましいこの世の欲望の姿であったと言うことです。それはもうクリスチャンとしての主の交わりではなくなってしまったのです。それは教会を軽んじ、弱い人を辱め、褒められないことです。非難されるべきことなのです。


2,主の聖餐

それでは、どのようにして解決が与えられたのでしょうか。20節に「主の晩餐」という言葉があります。それは、聖餐式です。イエス様が最後の晩餐の時に、パンを裂き、杯を弟子たちに分けて与えられました。それは、キリストを思い起こすためのものです。何を思い起こすのでしょうか。キリストが十字架にかかって死んで下さったと言うことです。
新しい契約とありますが、もはや古い旧約の約束すなわち律法によって生きるのではなく、十字架によって生きるということです。十字架によって私たちの罪は赦されました。そしてまた私たちは、キリストの十字架によって相手の罪を赦し、キリストが愛されたように相手を愛することです。イエス様は弟子たちに、新しい戒めを与えられました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」それが新しい戒めであったのです。
そして、コリントの教会に足らなかったものは、互いに愛し合うということでした。もちろんパウロにもそうでした。彼は迫害者・暴力主義者でありましたが、キリストによって赦されて、信仰による義を伝える人と変えられたのです。ですから彼も、「主から受けた」ことと言っています。彼は直接、キリストから聖餐は受けませんでした。しかし、信仰によって受け取り、御聖霊によって彼は心の中にキリストの姿を思い描くことができたのです。教会は、私たち自身が心の中に御聖霊によってキリストを思い起こし、信仰により、神の御言葉によって罪が赦され、互いに愛し合っていくところです。それを実践する場所です。コリントの教会は変わりました。パウロの手紙すなわち神の御言葉を読んで、そして御聖霊の働きによって、キリストご自身を心に覚え、キリストに従い実行する者となったのです。
私たちも御聖霊により、キリストがうちに生きておられる、その同じ信仰を持って交わりを持たせていただきましょう。


                             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)