皆さん、イースターおめでとうございます。イエス様が死の中からよみがえられ、弟子たちにご自身を現されて今日に至るまで約2000年になりますが、復活の希望は私たちにとって生きる大きな力となります。
1,キリストはからだを持ってよみがえられた
キリストが復活されたことは、人間にとって理解することは不可能だと思います。理解しがたいことです。事実、イエス様の弟子たちでさえも信じることは出来なかったのです。マグダラのマリヤでさえも、死んだ体に香料を塗りに行こうとしていたのです。
しかし、イエス・キリストは死の中からよみがえられ、ペテロ を 初め 、 500人以上の人たちに同時に現れたとパウロは証言します。キリストの復活は歴史的事実です。ですから今日もクリスチャンは20億以上いると言われています。迷信や嘘を命がけで伝える人はいません。真実だからこそ命をかけてキリストの復活を伝えているのです。
復活を疑った弟子のトマスでさえも次の週に復活のイエス様を直接見て「我が主よ、我が神よ」とひれ伏し礼拝したのです。彼は伝説によれば、インドまで伝道し殉教したと言われています。
2,復活は私たちを変える
42 節から対比の言葉が出てきます。「朽ちるもの」と「朽ちないもの」、「卑しいもの」と「栄光あるもの」、「弱いもの」と「力あるもの」、「血肉のからだ」と「御霊に属するからだ」と出ています。そして 45 節には「最後のアダムはいのちを与える御霊となりました」とあるのです。最初の人アダムは、神様からいのちの息を入れてもらい 生きる者となりました (創世記 2:7) 。しかし彼は神様に対して 不従順となり、朽ちるもの、卑しいもの、弱いものとなってしまったのです。それは非常に惨めな姿です。
しかし最後のアダム、それはイエス様のこ とですが、「いのちを与える御霊」となられたのです。これもまた、私たちの能力ではすべてを理解することは出来ません。しかし信じ受け入れることが出来ます。イエス様は復活のからだを持って弟子たちの所に来られたとき、カギがかかっている部屋にからだを持って入られたのです。しかも復活のイエス様は、弟子たちとガリラヤで会い、一緒に食事もされたのです。不思議な体です。
そしてイエス様と御霊すなわち御聖霊は、同じ方です。私たちにはこのことが完全に理解出来ません。信じる以外にないのです。しかし、この方は私たちに生きる力を与えて下さ います。御霊に属するものとして下さいます。天国で生きる者にしていただけるのです。そして、卑しいものが栄光あるものに変えられるのです。それが、キリストの力です。最初のアダムは朽ちて行きましたけれども、最後のアダムイエス様は、死の中からよみがえられ栄光を現されたのです。
3,キリストに似たものとなる
私たちには目的があります。その目的は、この世で素晴らしく生きると言うのではありません。この世のものは滅び去ります。土で造られたものは土に帰るのです。しかし、御霊に属するものとして新しく造られた人は、キリストが死の 中からよみがえられたように、私たちも復活の体、栄光のからだを持って天国で永遠に生きることが出来るのです。それが私たちの目標です。
49 節の「天に属する方のかたち」とはキリストの姿です。キリストのかたちを私たちは心に持つのです。それは 48 節にある、「天に属する方に似ています」と、キリストに似たものなることです。それはガラテヤ5:22,23 の「聖霊の結ぶ実」が実際に自分の心に豊かに実らされることです。キリストが心の内に生きて居られるなら、その実は豊かに実らされます。
復活のキリストが私の心に生きて居られる、 そのことを私たちは信じ、自分の心の内に復活のいのち、復活の力を豊かに与えていただきましょう。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)