柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストによる平和」エペソ2章11~16節

 今、大阪ではコロナ感染が急速に増えています。このことで心配されている方も多いのではないかと思います。また私 もこれからどうなるだろうかと不安 に 感じる 者で す。
 しかし私たちには絶対的な解決があります。パウロはそのことを私たちに告げ知らせています。

1,キリストこそ私たちの平和

 それは14節を見ると「実に、キリストこそ私たちの平和です」とパウロは主張します。この平和とは特別な意味があります。戦争がないとか、争いがない穏やかだというだけではありません。この平和はヘブル語ではシャローム心理的には心の平安、また病気にさいしては健康や回復、経済的には繁栄といった意味があります。ですから聖書に出てくる平和は、消極的な意味合いよりも、むしろ積極的なものです。
 
 ですから、イエス・キリストを信じるなら、私たちの心は平安になり、病は癒やされ、経済的にも必要は満たされるのです。福音書を見ますと、イエ ス様に癒やされた数多くの人たちが出てきます。中には死んだのに生き返った人もいます。経済的にも、イエス様は「空の鳥を見よ。蒔くことも刈ることもしないが、天の父はこれを養って下さっている。ましてあなたがたは空の鳥よりも価値のあるものではないか。」とはっきり言われました 。
 
 キリストこそ私たちの平和と言うのは、キリストが私たちの平和の土台である。私たちが汗水垂らして平和を築く必要はない。キリストご自身そのものが 、 平和であり、その上に自分の身を委ねるなら絶対に揺らぐことはないと約束されているのです。
 
 砂地に家を建 てるのと、岩の上に家を建てるのと、どちらが安心できるでしょうか。当然岩の上です。その岩とはキリストです。キリストの上に、自分の人生を立てあげるなら、決して倒れることはないのです。

2,キリストは平和を実現される
 キリストの平和は、積極的です。能動的です。前向きです。じっとされているものではありません。「敵意を打ち壊し」とかなり過激な表現ですが、この言葉はぴったりだと思います。

 私たちにも、人と人を隔ててしまう垣根があると思います。それは、「自分はあの人と違う。自分の方が正しい」といった思いです。それが実は「 敵意」となって自分の心に現れてくるのです。

 人に対するイラだち、腹立たしさ、憎しみ は 、 やがて 敵意となってしまうのです。表面的には穏やかそうに見えても、心の中では、乗り越えられないくらいの高い壁となって、隔ててしま いま す。

 そして、キリストの平和には2つの意味があります。 一つは神との平和です。私たちは神を知りませんでした。真の神様を敬うことも愛することもしませんでした。逆に神に敵対する者でした。かつては「神なく、望みなくさまよう者」だったのです。なぜ神を信じることが出来るようになったのか。キリストの十字架です。「キリストの血によって」神に近づける者となったのです (13 節) 。

 もう一つは人との和解 、 仲直りです。二つ別々なものを、一つの体、二つをご自分において、新しい一人として造り上げ実現されるのです。

 あるところに非常に仲の悪い親子がいました。ついに息子は腹を立て、家を出ました。母親は元々病弱で体が弱く、心労が重なり、危篤となりました。父親は新聞に「母危篤すぐ帰れ」と三行広告を出しました。息子はそれを見、家まで来ましたが入れません。すると父親がお母さんの名前を呼ぶ声が聞こえ、慌てて中に入ると、 いまわの際で 、 母親は手を差 し出してしっかりと握り父親の手も重ねて、「これから二人仲良くして」と、二人の手を重ねて合わせて天国へ召されて行きました。親子は重ね合わされた手の上で涙を流し、二人は互いに「自分が悪かった」とお詫びをしたのです。それ以来、この親子は見違えるほど仲良くなったのです。

 キリストはまさに「十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされ」平和を実現して下さる方なのです。

 

(宣教者:西本耕一牧師)