柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「待ち望むもの」使徒1章3-5節

エス様は十字架の死の後、聖書を通して約束されていたように三日目によみがえられました。そして、弟子たちとともにこの地上に40日間共におられました。しかし、その後天に昇られました。イエス様は彼らに「待ち望むべき」大切なことを語られました。


1,キリストが示されたもの

エス様は40日間何をされていたのでしょうか。3節を見ますと、「神の国を語られた」とあります。神の国とはすなわち、神が支配される所であると言えます。神が王となられてすべてを支配されるのです。さらに別の言葉で言うなら天国です。イエス様は天国のことを弟子たちに語られ、天国を待ち望むことを語られたのです。
天国とは、この世が改造されてよい国になると言うことではありません。この世とはまったく別の世界であり、神様が新たに造られた「新天新地」のことです。ですから、初代のクリスチャンたちは、天国に希望を持っていました。この世に楽園を建設することではなく、むしろ自分のいのちをも投げ出して、天の御国に入ることを望んだのです。ですから、迫害があってもひるみませんでした。むしろ、神の国を待ち望んでいのちを捨てることを選択したのです。その事により、さらにキリスト教は全世界に広まることとなりました。
もう一つのことは、イエス様が自ら死からよみがえり生きておられることを数々の証拠をもって示されたことです。弟子たちが戸を閉めて閉じこもっている中に、イエス様は現れました。まさに復活の身体をもって、カギを掛けた戸を通り抜けて来られたのです。またガリラヤに行かれた時、弟子たちとともに食事をされました。彼らとともに食べられたのです。そのように自らがよみがえり生きておられること、そして死に打ち勝たれたことを証明されたのです。復活の主ご自身が、弟子たち信じるものにとって永遠のいのちの保証となったのです。


2,聖霊を待ち望む

エス様は弟子たちに、父の約束を待てと言われました。父の約束とは何でしょうか。それは、イエス様は天に昇って行かれるが、代わりに助け主―聖霊が来て下さることでした。
弟子たちにとって、復活のイエス様死に打ち勝たれたイエス様が共におられることは大変心強いことです。しかし、そうであるなら、信じる必要はなくなります。そして、イエス様が肉体をもって動かれると働きは大きく制限されてしまいます。しかし、聖霊として働かれるなら世界中、どんなところでも、どんな時間でも制限されることなく働かれることができます。そして、神様は全世界的にすべての世代にわたって、神様の救いの御業をなされることができるのです。
それが、ペンテコステの日です。イエス様が天に昇られて後、彼らが心合わせて祈りに専念している中に、聖霊は彼ら弟子たちに臨まれました。それが5節でイエス様が言われた聖霊バプテスマを受けることです。
聖霊バプテスマを受けたとき、弟子たちは変わりました。大胆に語り出しました。十字架のキリストを大胆に語ったのです。彼らの心の中から恐れは追い出されてしまったのです。そして、聖霊は真理の御霊です。彼らに語ることを教えられます。さらに聖霊は、慰め主です。彼らがムチで打ちたたかれ、二度とイエスの名によって語ってはならないと言われたのですが、心の中は聖霊によって慰められ喜びに満たされて、辱められたことをイエス様の苦しみに与るものとされたこととして、感謝し神をほめたたえました。
私たちも聖霊バプテスマが必要です。あの弟子たちのように大胆に語り、苦しめられても慰めと喜びに満たされ、恥をもいとわない。自分を忘れて、キリストのために生きる。そんなことが可能になるのです。イエス様は「聖霊を受けよ」と弟子たちに言われました。そして、父の約束を待ちなさい、まもなくあなたがたは聖霊バプテスマを受けると約束されたのです。
私たちも、私たちの心が満たされるように、真理の御霊、慰め主―聖霊が私たちの心を満たし、また、愛に燃やされてさらに大胆にイエス様のすばらしさを語るものとさせていただきたいと思います。


              (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)