柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの約束」使徒1章

死の中からよみがえられたイエス様は、弟子たちに現れ、その後に起きる事を約束されました。二つの事があります。
1,聖霊バプテスマ
 一つは、聖霊バプテスマです。私たちはイエス様を救い主として信じるときに洗礼を受けます。その洗礼という言葉が、ギリシャ語ではバプティゾーという言葉です。元々は浸すという意味です。実際は、川の中で行われましたが、今は色んな形で洗礼が行われています。しかし、本質的には同じです。形はちがっても洗礼の意味は変わりません。但し、水のバプテスマ聖霊バプテスマはちがいます。
 聖霊バプテスマは、聖霊の中にどっぷりと浸かる、聖霊に満たされる、聖霊にすべてを明け渡し、従うことです。聖霊とは誰か、唯一絶対の神様です。神様にまったく明け渡し、完全に従うことです。イエス様はそれを実行されました。神であり、罪が全くなかった方がヨハネから洗礼を受けられたのです。それは、父なる神様にまったく服従することの第一歩であったのです。イエス様は十字架の死に至るまでも従順であられたのです。私たちはどうでしょうか。イエス様のように父なる神様に従っているのでしょうか。
 弟子たちはそうしたいと願いました。最後の晩餐で誓いました。しかしできなかったのです。人間の力、肉の力ではできないのです。私たちの思いで神様に完全に従うことはできないのです。しかし、神様は私たちに力を与えられます。それが聖霊バプテスマです。そのことは後のペンテコステの時に起ました。弟子たちが聖霊バプテスマを受けたとき、すなわち聖霊が降ってこられたとき、彼らは力を受けたのです。その力は奇跡の力です。人にはできない事です。彼らは聖霊バプテスマを受けたとき、大胆にイエス様を証ししました。十字架の死をペテロは語ったのです。そして、3千人の人が洗礼を受けたのです。それは神の力でした。聖霊バプテスマをペテロは受けなければ、そのような事はできなかったでしょう。私たちも同じです。聖霊バプテスマなしに、神の力ある業を行う事はできないのです。それは、旧約の士師記にも現れています。ギデオンもサムソンも、聖霊に満たされなければ、聖霊が臨まれなければ、弱虫のままで罪人のままで生涯を終え敗北の人生を期したと思います。しかし、彼らも聖霊が臨まれたとき、聖霊に満たされて神の御業を行う事ができたのです。私たちに必要な事は、聖霊に満たされる事です。そして、主の証し人になる事です。8節にはその約束があります。日本でも大正、昭和にリバイバルが起こりました。柏原教会もその力を受けて誕生したのです。
2,キリストの再臨
 そうしてもう一つの事は、再臨です。イエス様はもう一度来られます。そのことは黙示録に記されてあります。再臨のキリストはすべてを裁かれます。
 従う者と、従わない者とに分けられます。従う者とは誰か、ペテロのように裏切り罪を犯しても、悔い改め主の元に帰ってくる者です。キリストは、罪人のために十字架にかかられ死なれました。それはご自身を信じて、従う者に罪の赦しを与えるためです。私たちの心に罪はないでしょうか。そのままで神様の前に立つ事ができるでしょうか。
 私たちは、心の中に罪が示されたなら、神様に告白し、罪の赦しを受けなければなりません。神は真実で正しい方ですから私たちの罪をゆるし、すべての悪から私たちをきよめて下さいます(?ヨハネ1:9)。そうでなければ天国には入れないのです。罪をもって天国に入る事はゆるされません。すべて罪を棄て、十字架で取り除いていただき、天国には入れる確信、平安をもってイエス様にお目にかかる者となりましょう。


                 (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)