柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「天におられる主」マルコ16章19-20節

5月10日は、キリストの昇天日でした。イエス様は弟子たちが見ている前で雲にのり天に昇られたのです。そのことは使徒の1章にも記されてあります。私たちはなぜイエス様を救い主として信じ従うのか、その意味がここに明確に記されてあります。


1,とりなしのために

第一の事は、天に上げられ神の右の座に着れたことです。なぜ右の座に着れたのか、それは私たちを父なる神様に執りなして下さるためです。私たちは罪人のゆえに、神に大胆に近づくことは恐れ多く、はばかられる者ですが、キリストのとりなしによって、むしろキリストの十字架の贖いによって、大胆に近づくことができるようになったのです。
そして私たちは、祈りの最後で「キリストの御名によって」祈りますが、キリストのとりなしの力、祈りを成就してくださるのはキリストご自身である事が明確になります。キリストの名には力があるのです。


2,福音を宣べ伝えるために

エス様は弟子たちに全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさいと命令されました。しかし、イエス様はただ言われて、ほおっておられたのではありません。彼らを見ておられます。また、私たちをも見ておられます。天におられるとは、すべての人を見られる事を意味します。イエス様の目的は、罪のゆるしです。十字架にかかって死なれたのは私たちの罪をゆるす目的があったからです。十字架なしに私たちは救われる事はありません。罪に打ち勝つ事もできません。十字架で死なれて、復活されたからこそ私たちは罪に打ち勝つ事ができるのです。キリストの力によって神に敵対するサタンに、そして自分の罪に打ち勝つ事ができます。イエス様は私たちのために、真の大祭司となって、自らを祭壇にささげ、執りなして下さっておられるのです。ですから、罪ゆるされた人間が、罪の赦し、救いを語る事ができるのです。天使にはできません。彼らは罪を犯していませんが、ゆるされる事の素晴らしさもわからないのです。ですから、私たちが罪を赦されて、その赦しを語る事ができる、福音を宣べ伝えることができるのは大きな特権です。しかし、現実にはサタンの攻撃があり、罪の惑わしがあり、弱くなります。そのためにイエス様は執りなして下さり、力を与えて下さる。信仰によって勝利し、福音を伝える事ができるのです。


3,御言葉にともなうしるし

福音宣教のために、特別に与えられるものがあります。それは奇跡の業です。使徒の働きにはたくさん出て来ます。イエス様も奇跡の御業を行われました。「しるし」とは何でしょうか。18,19節に記されてあります。しるしとは、キリストの名によって悪霊を追い出すことです。新しいことばを語り―使徒2章に見られる外国の言葉、さらには毒を飲んでも害を受けず、病人に手を置いて祈れば癒やされます。それが、みことばに伴うしるしであり、神の御言葉は本当だという証明になるのです、
天国のイエス様は目では見えません。でも、私のためにご自身をささげ、今も祈って下さっておられると信じるなら、イエス様は共におられイエス様が働いて救いの御業をなして下さるのです。


               (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)