柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「十字架にたつ教会」コリント人への第一の手紙1章18~31節

1,十字架に立つ教会
 十字架の言葉は「十字架と復活によって始まった福音を告げる言葉」です。教会は主イエスの十字架と復活により救われた人々の集いです。主イエスは罪人のために、その罪の身代わりとして十字架で死に、三日目によみがえられました。この十字架の福音が語られる時に、聖霊様が働き、語られた十字架の言葉によって救われます。私もその一人です。
 そして神が打ち立てて下さった事が土台である以上、私たちが何者であるかに救いは左右されません。私たちは自分の愚かさではなく十字架を見つつ、十字架を土台に赦されている喜びと感謝によって教会を建てあげます。

2,十字架が建つ教会
 十字架の言葉は同時に、キリストの身体である教会に通う「十字架の価値観の言葉」です。パウロはコリント教会の様々な問題に「十字架のキリスト」を指標に相対しました。
 例えば、教会の昼食に世の偉い人が中心を占め、貧しい人々は追いやられていました(Ⅰコリ11:17~26)。教会の食事の交わりが「主の死を告げ知らせる」には、そこに十字架の価値観が流れていなければなりません。主は貧しい人々、罪人を救うために低くなり十字架に架かられました。なるほど、教会は建物ではなく、その内に十字架に架かられたキリストの価値観と、今も生きている主の臨在が在るか問われるというのです。
 私たちはまさに「神は知恵あるものを恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選ばれました」(27)。それは誰も自分を誇らず、十字架のイエスを主として誇り、生き方を通し十字架のイエスを指し示すためです。
教会に来たら外観だけではない、ここに十字架のキリストの価値観が流れている。そういう教会で互いにあらせて頂きたいのです。

(宣教者:羽曳野教会牧師 加藤満師)