柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの謙遜」ピリピ2章6-11節

パウロはローマの牢獄で、この喜びの手紙を書きました。彼はピリピの人たちに互いにへりくだって、キリストの心を自分の心としなさいと勧めました。キリストの心とはどのようなものでしょうか。

1,キリストの謙遜
 それは一言で言うなら、キリストの謙遜です。キリストほど謙遜な人はありません。その姿が6節から8節に記されています。
 キリストは神の御姿である方とありますが、それは神ご自身という意味です。キリストは神であった。しかし、神であることを自ら捨てられたのです。神としての栄光、人間で言うならプライドを捨てられた。
 そして人としての性質を持たれた。私たちと同じように飢え渇き、苦しみや悩みを味わわれる者となられたのです。そのことを通して、私たちの悩みや苦しみをキリストは知って下さいます。私たちは人の苦しみや痛みをなかなか知ることは出来ません。しかし人となられたキリストは私たちの悩み苦しみを知って下さる方です。
 しかもそれだけではありません。十字架の死に至るまでも、従われたのです。十字架の死とは何でしょうか。それは私たちの罪の赦しのためでした。キリストはご自身、死ぬ必要のない方でした。なぜ死なれたのでしょうか。私たちを救うためです。永遠の滅びから救うために、私たちと同じようになって下さり、悩みや苦しみを味わわれ、そしていのちまでも与えて私たちを救って下さったのです。それがキリストの愛です。十字架はキリスト教のシンボルですが、十字架で死んでいのちを与える。これがキリストの愛なのです。

2,キリストの栄光
 それだけではありません。父なる神様は、キリストを高く上げられました。それは2つの意味があります。一つは復活です。死の中から引き上げられ、死に勝利された。私たちが最も恐れるのは死ではないかと思います。キリストはその死に打ち勝たれたのです。キリストの復活により、死はのみ込まれてしまいました。そして、信じる私たちに神様は私たちにも復活のいのちを与えて下さるのです。私たちも死に勝利することが出来るのです。
 そして、もう一つのことは、天の御国での栄光です。私たちが永遠に生きるのはこの世の国ではありません。神様は、この地上を造られたように、新しい天と新しい地―神の御国すなわち天国をすでに造っておられます。その天の御国に私たちはやがて凱旋し、全てのものが膝をかがめて、「イエス・キリストは主である」と神様をほめたたえるのです。すなわち礼拝です。天国でも礼拝はあるのです。黙示録にもそのことは記されており、神と子羊イエスがあがめられることが記されています。
 膝をかがめてとは、謙遜です。私たちはなかなか謙遜にはなりにくい者です。しかし、人となり、十字架に架かって死んで下さったキリストの御前にはひざまずくことが出来るでしょう。どんな人でも、十字架の前ではへりくだる以外にはないのです。そのことによってすべての人は謙遜になる事ができ、3節のへりくだることが可能となるのです。
 それを父なる神様は願っておられ、私たちはまだ天国には行っていませんが、信仰によって神様の前にへりくだる者となり、御子を惜しまず与えて下さった父なる神をほめたたえ、礼拝する者となるのです。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)