柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「苦難の中に生きる」1ペテロ3章13-22節

9月11日はちょうど、アメリカの同時多発テロから10年そして東日本大震災から半年となります。なぜこの世には苦しみというものがあるのだろうか。それは私たちに取って大きな課題であると思います。


1,苦しみは幸いである

この手紙は苦難の中にいるクリスチャンたちに書かれた手紙です。紀元60年の中頃、ローマ帝国で激しい迫害に遭っている人たちに送られました。迫害は災害とはちがいます。しかし、苦しみに遭うということにおいては同じであると思います。災いに遭うとき私たちはなぜこんなことが起きるのか、どうしてこうなったのかとその理由を尋ねます。
しかし、不思議なことにペテロはここで「それは幸いなことです」と言いました。それは彼に救いの確信があったからです。彼は何を信じていたでしょうか。イエス・キリストです。
キリストは今どうしておられるでしょうか。彼は今、神の右の座におられるのです。ペテロはイエス・キリストの復活の証人でした。復活のキリストに会ったのです。そして、40日間地上に共におり、キリストがオリーブ山で天に昇って行かれるところを見たのです。
彼は以前、裏切り者でした。人生の失敗者でした。キリストを見捨てて自分の命を惜しみ去っていったのです。しかし、キリストはそんな彼のところにも現れて、ご自分の姿を見せられました。キリストが天に昇られた後、彼は他の弟子たちと心を合わせ祈りました。そして、ペンテコステの日に聖霊を受けたのです。その時に、彼らは変わりました。イエス・キリストのためには自分の命さえもおしまない、ダイナミックに生きる人に変えられたのです。
彼は苦難の中にいるクリスチャンたちを励ます人となりました。それは彼が、天上で諸々の権威・権力を持っておられる復活と栄光のキリストの姿を見ていたからです。
彼はいつも心の中で主を崇めていたのです(15節)。


2,十字架による救い

18節に「キリストが一度死なれたこと、悪い人々の身代わりとなった」とペテロは語っています。それは十字架の死です。私たちは、イエス・キリストの十字架の死によって、私たちのすべての罪あやまちが赦されて、天国に入れる者とされたのです。しかも、キリストと同じように復活のいのちが与えられます。私たちには、たとえ死んでも天国で生きる希望が与えられているのです。
私たちは救いの確信としてバプテスマ(洗礼)を受けます。水をもって洗礼を受けるのですが、一つのことを表しています。それはノアの箱舟に関係があります(20)。ノアは神様が地上のものを滅ぼされることを聞きました。そして箱舟を造りそれに乗って助かることを言われたのです。彼はそれを信じ、造り、箱舟に入って救われたのです。それはキリストの救いを象徴しています。私たちもイエス・キリストを信じ、すべてをキリストにお任せするなら救われるのです。キリストにより罪の赦しと平安の確信が心に与えられて、生活がキリスト中心に変えられるのです。
私たちはもはや、この世のものをもって心が満たされるのではなく、キリストの再臨と私たちの復活、天国で生きることを待ち望むことができるのです。復活のいのちの希望が与えられるのです。
ですから、どんな苦難に会ったとしても、復活の希望を失うことはありません。ですから、この世においては善を行って苦しみを受けること(17)や義のために苦しむこと(14)は幸いです。なぜならば、神様がすべてを報いて下さるからです。
1世紀のクリスチャンたちが信仰によって苦難を乗り切り、また勝利を勝ち得ていったように、私たちもまた同じ復活の信仰希望をいただいて、神の御国を目指し進ませていただきましょう。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)