柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「しっかりと建てる」ルカ6章46-58節

今年も早、9月となりました。暑かった夏も終わり、いよいよ収穫の秋を迎える季節になりました。今日は週報に振起日礼拝と記させていただいていますが、もう一度信仰を奮い立たせていただき、神様からの豊かな恵みに大いに預からせていただきたいと思います。
この聖書の箇所は、家を建てることが語られています。マタイの福音書7章にも同じようなことが語られています。家を建てるということはある意味一生の大事であると思います。多額のお金を借りてローンを組み、家を建てる人もいます。3月11日東日本大震災で建てたばかりの家を失われた方もいます。家は失い、借金だけが残った人もあります。この世の厳しい現実を思い知らされます。
しかしまた、この厳しい現実の中でも、希望をもって前向きに生きる人もいるのです。そして私たちは、聖書の言葉を通して、あきらめる必要はない、神様は私たちに素晴らしい約束を与えて下さっておられる事を知ることができます。


1,信仰と行い

46節を見ますと、神様を信じるとはいいながら神様が願っておられることを行わないことをイエス様はいわれました。信仰と行いはたとえて言えば車の両輪です。一方が大きくて、一方が小さければまっすぐに進みません。信仰と行いは切り離すことはできないのです。私たちが信じるといえばその通りに行っていくことです。ヤコブの手紙2:17には「行いのない信仰は死んだものである」とあります。信仰の父であるアブラハムは、100才の時にようやく与えられた息子イサクを神様が命ぜられたとき、自ら喜んで献げました。それが信仰の表れです。私たちも、信じていることが実は私たちの行動となって現れてくるのです。


2,二種類の人

ここに2種類の人の話が出てきます。神様のことばを聞いて行う人と、聞いても行わない人です。
まず最初に、聞いても行わない人はどうでしょうか。49節を見ますと、土台なしで家を建てた人に似ているとあります。土台がなければどうなるのか、洪水が押し寄せてきたときに倒され、破壊されてしまうということです。
あの3月11日の大震災のとき、千葉県でも震災の被害がありました。それは液状化による家屋の損傷です。家が傾き住めないというところが多くありました。何百万円も費用をかけてもう一度土台を固める工事をテレビでも紹介していました。改めて、土台の大切さを教えられます。
家も土台が大切ですが、実はここで語られているのは、私たちの人生、私たちのいのちのことです。私たちの人生の土台をどこに置くのかということです。
家でも、軟弱な土地に建てるよりは、岩盤のような強固なところに建てればびくともしません。ダイナマイトを発明したノーベルが生まれたノルウェーは土地は岩盤で硬く、それでダイナマイトが発明される必要があったのでしょう。


3,信仰を土台とする

エス様が空腹になられたとき、いちじくの木を見られたときに、葉ばかりで実が成っておらず、呪われよと言われ、その木が枯れた話があります。それは、まったく役に立たないことを言われました。私たちの信仰も、自分の人生を支えるものでなければ、いのちを守るものでなければ空しいものです。
それでは、信仰の土台は何でしょうか。それはイエス様の十字架です。私たちの土台となる信仰は、イエス・キリストが私たちのために、十字架で罪を背おい、私たちが赦され永遠の命が与えられていることです。それは、滅びの門も打ち勝つことはできないとイエス様は約束されました(マタイ16:18)。あのペテロに勝利を約束されたのです。
ペテロは自分の弱さや、愛する方を見捨てて逃げるその罪から勝利しました。そして、大胆に立ち上がり十字架の救いを語るものとなったのです。
私たちもまた、十字架と復活のキリストを土台とさせていただき揺るぎない人生をしっかりと建て上げていただきましょう。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)