柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの上に据えられる」 コリント人への手紙 第一 3章10∼17節

 柏原教会は今年で創立91年目を迎えました。
今日に至るまで神様は柏原教会を祝福し、豊かな恵みを持って導いてこられました。
神様に感謝をささげると共に新たなる信仰の道を進み行きたいと思います。

 

1,キリストが土台

 パウロは神の恵みによって土台を据えたと証ししました。彼は元々クリスチャンではありませんでした。むしろ迫害する人であったのです。しかしキリストにお会いすることによって人生は180度変わったのです。キリストが変えてくださる、素晴らしい者にして下さると知らせていったのです。

 彼はコリントでも伝道しました。そして教会ができたのです。しかし問題が起こりました。色々な人の考えや経験の違いでもってバラバラになりかけたのです。そんなコリントの教会にこの手紙を送って信仰を強固にしたのです。

 教会の土台はキリストであると彼は明言しました。それは私たちの教会でも同じです。キリストが土台です。私たちが一体何によって救われたのか、いつも明らかにする必要があります。私たちは自分の行いによって救われたのではなく、キリストの愛と赦しすなわち十字架によって救われたのです。キリストが私たちの罪の代価を支払って下さった。それによって罪が赦され、神の子となり、神の恵みの内に生きることができるのです。

 大正12年9月1日の関東大震災の時、東京のほとんどの建物は倒壊しました。しかし帝
国ホテルはびくともせず、壁一枚も落ちなかったそうです。なぜなら、土台を強固に作り、地面を深く掘り下げ、岩盤の上に建てたからです。

 ですからパウロも、信仰の岩であるキリストの上に教会を建てる、そのことによってどんな試練が来てもびくともしない教会を建てあげることを目指したのです。私たちもまた、その確信をいつも持つものでありたいと思います。


2,信仰によって建てる

 土台はキリストですが、その上にどのように建てるかはそれぞれ違いが出てきます。そしてそれは、やがての時、明らかになるのです。

 13節にそのことが記されています。「その日」とは神の裁きの日です。

 やがての時には、私たちは神の前に出なければなりません。そして私たちのこの世で生きていたすべてのことが明るみに出されるのです。

 それは火によって試されます。火で焼かれて残るものと残らないものがあるのです。金や銀、 宝石は残ります。しかし木や草、藁で建てると火で燃やされ残りません。なくなるのです。

 ですから、私たちも何によって自分のこれからの人生を建てあげていくのか、何が最後まで残るのかが大事なところです。金 ・ 銀 ・ 宝石といってもこの世の価値あるもののことをいっているのではありません。むしろ最後まで残るものは何であるかです。
それは1コリント13章にあります。

 信仰と希望と愛です。そしてその中で最も大いなるものは愛です。ですから私たちは愛をもってこれからの人生を建てあげるのです。

 その愛は人間の愛でなくて、神の愛です。「わたしの目には高価で貴い。わたしはあなたを愛している」その神の愛で人生を建てあげていくのです。


3,聖霊の宮

 そしてパウロは「私たちが神の宮である。」と言いました。「聖霊が私たちの内に住んでおられることを知らないのですか。」と私たちにも尋ねているのです。

 私たちは自分の力で、人を愛することはできません。慰め主、助け主である御聖霊の力なくして愛することはできません。また、私たちの人生も自分の力で建てあげることはできないのです。しかし、神の聖霊、御霊は私たちを建てあげて下さいます。

 パウロも土の器の中に聖霊を持っている、聖霊の宮であると証ししました。
聖霊は私たちに聖書のみことばを持って、神の御心を喜ばれることを教えて下さいます。またそれを行って下さいます。私たちを導いて下さる方です。神様ご自身が、私たちをこの世から救い出し、私たちを聖なるもの、神ご自身のものとして下さるのです。

 誰も私たちを滅ぼすことはできません。私たちはこの事を信じて、やがて御国の栄光を見る者とさせていただきましょう。

 

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)