柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「人生を建てるもの」?コリント3章10-17節

先週は、台風と地震で今までに体験したことのないような被害がもたらされました。私たちはこの事を通して、やがて未曾有の災害が来ることに警戒と備えをしなければなりません。また、聖書を通して今の私たちに神様が教えられることに耳を傾けなければなりません。


1,人生の土台―キリスト

この手紙で、11節に「その土台とはイエス・キリストです」と言う言葉が出て来ます。パウロはコリントの教会にクリスチャンにこの手紙を書きました。問題があったからです。教会が分裂しそうになっていたのです。
パウロは改めて、信仰の土台は、人ではない、キリストであると明言しました。私たちは何によって救われたのか。それはキリストの十字架です。イエス・キリストの十字架によって私たちは罪が赦され、クリスチャンとされた。私たちの人生の土台はキリストである。ペテロもイエス様から私を誰と言うのかと質問され「あなたこそ生ける神の子キリストです。」と応えて彼は天国の鍵を受け取ることが出来ました。私たちもまた、自分の土台はキリストである。十字架の罪の赦しによって自分は建てられていることを自覚しなければなりません。パウロもコリントのクリスチャンにそのことを明らかにしたのです。


2,建てるときの注意

その上に建てるべき大切なことを語りました。家を建てることです。家の材質のことを彼は語りました。何によって家を建てるのかと言うことです。12節には2種類のものが出ています。「金、銀、宝石」は価値あるものです。「木、草、わら」はあまり価値のないものです。その価値とはこの世の価値ではありません。むしろ、神の前に尊いものかそうでないかです。それは土台と関係があります。キリストは私たちの罪を赦して下さった。その愛を土台として建てるなら、神の喜ばれるものは何であるのかを私たちは知らなければなりません。そして、10節の終わりをみるなら、私たち一人一人が注意をしなければならないとパウロは言っています。どんな材質によって家をたれるのか。すぐに壊れるようなものか、それともびくともしない堅固なものによって家が建てられるのか、私たちの人生によって重要な意味があるのです。


3,真価の問われるとき

自然災害によって、建物がしっかりしているのかそうでないのかが解りますが、私たちの人生・いのちの真価はどのようにして解るでしょうか。
13節にヒントがあります。「その日が明らかにする」とあります。「その日」とは何の日でしょうか。キリストの再臨のときです。イエス・キリストは天に帰られるとき、もう一度同じ姿で帰ってくると弟子たちに約束されました。しかし、再臨はイエス・キリストに忠実に従っているものには報いのときであり、不忠実なものにとっては裁きの日となるでしょう。たとい生き残って助かったとしても、豊に報いのあるものと、そうでない者の違いがあるのです。ですから、私たちは何を持って自分の人生を建て上げていくのか、日々どのようにして生きるのか、そのことが大切なのです。
パウロは私たち自身が神の神殿であると言っていますが、エルサレムの神殿は荘厳な建物でした。パウロは、神の御霊があなたがたに宿っていると言いましたが、私たちのうちに、復活のキリストが生きておられているということです。
そのキリストにふさわしく私たちは生活し、整え、建て上げられて、やがて神の御前に立つときには、イエス・キリストが「善かつ忠なる僕よ、よくやった」と喜んで下さる生き方をさせていただきたいと思います。


                  (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)