柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しい力を得る」イザヤ40章28-31節

今日は振起日礼拝です。暑い夏もいよいよ終わり、収穫の秋を迎えますが、私たちの心も新たにされ、神様の力を得て鷲のように駆けめぐるものになりたいと思います。
イザヤ書40章は解放のメッセージです。イスラエルの民はB.C.538バビロンから解放されましたが、私たちにはこの世の主権者サタンからの解放、勝利が与えられます。


1,主―創造主なる神

イスラエルの民は、偶像礼拝によって、国は滅ぼされバビロンの捕囚となりました。しかし、彼らは滅びることなく生き延びたのです。それは、神様の憐れみであり、信仰の父アブラハムに対する約束でもあったのです。しかし、捕囚の70年はあまりにも長いものです。人の一生です。1歳で捕らえられたものも、帰るときは70歳になっている。あまりにも長く、また辛い時代を、イスラエルの民は過ごさなくてはなりませんでした。その嘆きは詩篇137篇に記されてあります。先の見えない、希望のない時代をイスラエルの民は偶像礼拝の罪ゆえに受けなければならなかったのです。
ところがイザヤは、その捕囚の民に預言したのです。「知らないのか。聞いていないのか。」それは主なる神は、地の果ての創造者、永遠の神であると言うことです。当然、神は弛むことも疲れることもありません。そして、英知は計り知れない。私たちのことを知っておられるということです。私たちの、疲れていることも、たゆんでしまうこともご存じなのです。


2,力の限界を知る

しかし、私たちは、自らの限界を知らなければなりません。若い者でも、力がたゆみ、疲れ果ててしまうことがあるのです。また、壮年であっても躓いて、倒れてしまうことがあるのです。私たちは、自らが力あるものではなく、神によって造られ、生かされているものであることを知らなければならないのです。ですから、イザヤは、「知らなかったのか、聞いていなかったのか」と、イスラエルの民に、そして現代の私たちにも語っているのです。創造主なる神は、私たちに、29節にあるように、疲れたものには、力を与え、精力のないものには活気を与えると私たちに約束を与えておられるのです。


3,新しい力を得る

しかし、私たちに必要なものは単に外から供給される力ではありません。神様は私たちの内側からわき上がる力を与えて下さいます。鷲のようにと、言葉が出ていますが、鷲は鳥の中の王です。空の上から、獲物を見つけ急降下して捕まえます。そのように神様は私たちを強い者にして下さる。内に新しい力を与え得て下さるのです。新しいとの言葉の意味には、芽生える、刷新する、変わるといった意味があります。あの捕囚の民も変えられました。約束の地カナンに戻り、イスラエルの復興そして、神殿の再建をその後成し遂げたのです。それは、神様が彼らに新しい力を与えられた。たとえ困難であってもそれをやり遂げることの出来る力を与えられたのです。
それは、主を待ち望むことによって新しい力が与えられました。私たちも、主を待ち望むなら新しい力が与えられます。その主とは誰か、真の救い主、神である、再臨のキリストです。私たちは、その主を待ち望み、新しい力を与えて頂き、走っても弛まず、歩いても疲れないものにさせていただきましょう。


                     (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)