柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「繁栄の回復」エレミヤ33章1-11節

今年もあと残すところ3日となりましたが、最後の締めくくりとして礼拝できることを感謝します。
 今年はとかく災害の多い年であったと思います。さらには東南海地震の発生も懸念されますが、私たちは不安な時代の中にいます。しかし、神様は私たちにすばらしい約束を与えて下さっておられます。

1,神に求める
 この箇所は、預言者エレミヤが監視の庭に閉じ込められていたときに、神様から与えられた預言でした。彼はイスラエルの滅びを人々に語っていたのですが、それを信じて受けとめる人はいませんでした。それどころか彼は命を狙われる危険があったのです。監視の庭に閉じ込められるのは不自由な事でしたが、安全でもあったのです。
 その時に彼は預言しました。神様はイスラエルの民に、「わたしに呼べ」と言われました。このことは祈りを意味しています。神様はまず祈れ、わたしに求めよと言われます。それは、今日でも、苦しみや困難に遭うとき、まず私たちは神さまに求めなければ成りません。祈らなければなりません。そのことが実際どれほどできているでしょうか。ですから、今日でも、エレミヤが持っている危機意識を私たちは共有する必要があります。災害はいつ起こるか解りません。昨年も大阪は台風に見舞われて大きな被害が出ました。まだ復旧作業をしているところもあります。そして今年は関東地方に大きな災害が見舞われました。いつそのようなことが起こるか予測できない時代に私たちは生きています。
 エレミヤの時代の問題は、カルデヤ人即ちバビロンが攻めてくることでした。4節5節の災いが起こり、エルサレムはやがて破壊され、イスラエルの民は捕囚となるのです。
 なぜこのようなことが起こったのか。最大の原因は、偶像礼拝でした。神ならぬものを神として崇め、それに仕える。それが偶像礼拝でした。偶像礼拝は、国の分裂を招き、破滅に至らせるものです。5節の終わりには、「顔を隠した」とあります。これは神の臨在をあらわす言葉です。神様は顔を隠された。もはやそこには神様がおられない状態となってしまったと言うことです。神殿はありました。また祭司たちも奉仕していました。しかし肝心の神様がそこにおられない。全く空虚なものとなったのです。私たちも礼拝が形骸化していないだろうか。かたちだけの礼拝であるなら、それは恐ろしいことであると思います。「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまことを持って礼拝すべきである」とイエス様は言われましたが、私たちは真に畏れを持って神を礼拝し、神の御言葉を聞き、神に従うものでありたいと思います。

2,繁栄の回復
 なぜ神様は、カルデヤ人を用いてエルサレムを破壊されたのか。神様はエルサレムを滅ぼされるのが目的ではなかったのです。神様が求めておられることは、イスラエルの人たちが神様のもとに立ち返ることを望んでおられたのです。
 ですから、7節には、繁栄を元通りにする。彼らを建て直す。とのはっきりとした約束があります。言うなれば試練を与えて創造の主・全能の神に立ち返ることを願っておられるのです。それは放蕩息子が、自分がどんな者か解ったときに、本心に立ち返って悔い改め、父の元に帰っていったのと同じことです。
 神さまは、私たちに回復の恵みを与えられます。6節には、いやしのことが出ています。町の傷をいやし、彼らをいやして平安と真実を豊に示すと約束されているのです。このいやしは私たちにも与えられます。8節には、すべての咎から彼らをきよめ、すべての咎を赦す。とありますが、一体神様は私たちの罪をどのように赦されるのでしょうか。それはイエス・キリストによってです。イザヤ書53章には苦難のしもべの預言があります。「その打たれた傷によって我らは癒やされたのである」とイザヤによって預言されました。そして十字架によって、私たちの罪はいやされ清められます。「御子イエスの血すべての罪より我らをきよむ」と十字架によって私たちは赦され、神様の祝福に預かることができるのです。
 私たちが目ざすのは、地上のエルサレムではありません。確かにエルサレムはバビロンにより破壊され、70年の捕囚の後解放され、再建されました。さらには、紀元70年、ローマにより滅ぼされ、ユダヤ人は世界に散らされました。ところが第二次世界大戦後、ユダヤの国は回復し、エルサレムが再建されました。しかし、私たちが目ざすのは、天のエルサレムです。永遠に滅ぼされれることのない、神が治められる天の都エルサレムを目ざすのです。
 天の都エルサレムに入れるのは、神によってすべての咎が赦された人です。どのように赦されるのか。十字架によってです。十字架は私たちのすべての罪を赦すためでした。私たちもあの放蕩息子のように罪がわかり、そして神様が十字架によって赦して下さることを信じ、神に従う者とさせていただきましょう。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)