柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「愛による生活」ローマ12章9-21節

敬老の日は他の祝日より比較的新しく、外国ではあまりないようですが、長寿国の日本には必要な祝日であると思います。とにかく老人を敬い、いたわることは大切なことです。弱者をいたわることは大切です。私たちには愛が必要です。日頃から心がけたいと思います。愛による生活とはどんなことかを聖書からみたいと思います。


1,心から愛する

日本の家庭は核家族化が進み三世代以上が共に生活する事はほとんど見られなくなりました。教会は「神の家族」と呼ばれます。教会にはあらゆる世代の人が集まっています。考え方も、生活の背景もまったく異なっています。ところが、教会では兄弟姉妹とお互いに呼び合うことがあります。本当の兄弟の方もおられますが、教会では特別な意味があります。それは、父なる神様によって救われ、私たちは信仰によって対等な兄弟姉妹としての交わりが与えられたということです。
10節に出てくる「兄弟愛」は霊的な意味あいにおいて父である神様により、兄弟姉妹となって互いに愛するものとされているということです。この愛は神様の愛とは少しちがいます。ギリシャ語ではフィラデルフィアとなっています。そんな町がアメリカにあります。兄弟愛とは「親身な愛」であり「思いやり深くある」ことです。
ですから、必要以上に頑張って無理して愛さなければならないんだと力まなくて良いということです。リラックスして親切で思いやりがあればそれで良いのです。10節の所には「思いなさい」とあるのはそのためです。私たちは自分の心の中で、相手に対して親しみ深く親切に、思いやりの心を持つだけで良いのです。
その逆のことが16節に出てきます。「高ぶった思いを持たない」「自分こそ知者だと思わない」それが実は謙遜であり、私たちの心の中で自分より劣っている人の心に合わせる、心を一つとしていくことです。私たちは相手の心に自分の心を合わせることは、なかなか難しいことであると思います。また、満足のいくようなことはできないと思います。
しかし、可能性があります。それは15節にある「喜ぶときには喜び、泣くときには一緒に泣く」ということです。おそらくそれは、不可能ではないでしょう。きっとできるとだと思います。そのようにするときに、聖霊である神様はさらに強く働かれ、私たちを真に愛するものに造り変えて下さいます。
私たちが、人との関係の中に、困難を覚える中に神様に祈り求めるなら、助け主である聖霊は働かれて12節にあるように私たちを「望みを抱いて喜び、艱難に耐え、絶えず祈りに励むもの」として下さいます。


2,主に従う

もし私たちが愛に溢れる生活をしたいと願うなら、神に従うことです。お互い人の間においては、「愛の思いを持つ」だけで良いのですが、しかし神様に対しては「主に仕えなさい」とパウロは言っています。私たちは毎日の生活の中で主に仕えているでしょうか。主に仕えるとは具体的にどんなことでしょうか。
14節を見ますと「迫害する者を祝福しなさい」とあります。自分に意地悪をしたり悪口を言う人のために、神様がその人を本当に幸せにして下さいと祈ることです。それは人間の力では不可能なことです。しかし、神にはそれができます。19節に「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」と神様は言われています。20節の「敵に食べさせたり飲ませたりする」ことは実はサタンに対する勝利です。平和の神は私たちの足をもってサタンを踏み砕かれるのです(ローマ16:20)。
エス様は十字架の上で、サタンに勝利されました。キリストの十字架によって、私たちのすべての罪は赦されて、神の子とされたのです。 ですから、その私たちが生けるキリストに仕えていくとき、すなわち迫害する者に祝福を祈るときに私たちは悪に対して勝利するのです。キリストの愛の中に活かされるのです。


             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)