柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「リバイバルのへ望み」エレミヤ31章1-6節

昨年3月11日に起こった東日本大震災から1年以上が過ぎました。しかし、完全な回復は出来でいません。原発問題、電力不足、新たな問題が出てきます。

旧約聖書で涙の預言者と言われるエレミヤは、バビロンによりイスラエルが滅亡することを語りましたが、人々は聞き入れず悔い改めることもありませんでした。今苦しみにある私たちは、神の声に耳を傾けなければなりません。真摯に悔い改め、神に立ち帰り、そして神の愛によって真の復興を与えていただきたいと思います。


1,再建の預言

4節に、「イスラエルのおとめよ、再びわたしは建てる」と主なる神様は語られました。ソロモンのときに栄華を誇ったイスラエルは、北と南に分裂しました。その原因は何だったでしょうか。それは、第一にソロモンがもたらした偶像礼拝の罪でした。神ならぬものを神として拝み、「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」との十戒を破りました。そして、第二はその息子レハベアムの傲慢でありその愚かさによって国は分裂してしまいました。私たちもまた、神ならぬものを神とし、自らが傲慢になるなら主の祝福を失うものとなります。
しかし、あわれみ深い神様は、イスラエルを愛されその復興を約束されます。「わたしは再びあなたを立て直し」(新)と約束されるのです。単なる回復ではありません。タンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出ていく、それほど大きい喜びです。圧倒的な喜び、恵みに満たされて出ていくものとなるのです。
2節で「つるぎをのがれて生き残った民」とありますが、北イスラエルはアッシリヤに倒され、その政策によって異邦人がその地に移住させられ、ユダヤ人との雑婚が行われ、後サマリヤ人はユダヤ人と仲が悪くなります。
しかし、かかる試練をもエレミヤは「荒野で恵みを得た」と言っています。モーセもミデヤンの地に逃れなければ、荒野で主の顕現に接することはなかったでしょう(出エジプト3:2)。イエス様も荒野に退かれて、サタンに勝利されました(マタイ4:1)。水も湧かず草も生えない、荒野は実は神の導かれる恵みを発見するところでもあるのです。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇 119:71) 物質的には不毛の地でも、そこで知り得ない恵みを味わうことができるのです。


2,教会のリバイバル

あの震災直後、教会も打撃を受けました。しかし、その困難な中、教会に来る人も起こされて感謝ですとの報告も受けました。
教会にも神様は復興のときリバイバルを与えて下さることを、私たちは期待したいと思います。「シオンに上り、われわれの神、主に、もうでよう」とサマリヤ人が言うとは、驚きです。彼らはゲリジム山に神殿を作ってイスラエルに対抗していたのです。その彼らからがシオンに上るとは、非常に驚くべきことです。


3,神の愛を体験する

なぜ反逆のイスラエルが恵みを受けるのか。彼らが自らの罪のゆえに祝福を失い、苦しみを経験することによって、それにまさる真の救い平安と喜びを体験するのです。
パウロは「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ5:3〜5)と語っています。
神様は、恵みを受けるべき資格のない、反逆のイスラエルをも愛されます。なぜなら、神の愛は限りのない、永遠の愛だからです。それこそ、ひとり子をも惜しむことなく、十字架に付けるほどに私たちを愛して下さる、圧倒的な愛です。
その限りない愛をもってあなたを愛していると主なる神様は、語って下さいます。そして、絶えず神様は、真実を尽くしてくださる方なのです。
私たちもまた、御霊に満たされる、かぎりなき愛を持て愛せられ、絶えず恵まれるものとさせていただこうではありませんか。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)