柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊が降るとき」使徒1章8節

今日はペンテコステの礼拝です。ペンテコステとは50日目という意味があります。それは、イエス・キリストが死の中からよみがえられて50日目の日曜日と言うことです。

その時、イエス様の弟子たちは、閉じこもっていた部屋から出てエルサレムの真ん中に立ち、キリストを証ししたのです。その日キリストの弟子に加わった人たちは3000人でした。それが、教会の始まりでした。ですからペンテコステの日は教会の誕生日であると言えます。

神様はなぜ教会を作られたのでしょうか、それはすべての人が救われるためです(?テモテ2:4)。そしてそれは聖霊の働きであるのです。


1,教会の原動力―聖霊

働きが始められるためには動力、すなわち動かす力が必要です。教会の原動力は何でしょうか。それは聖霊です。聖霊が働かれる所に教会は立ちます。教会といっても建物のことを言っているのではありません。教会とは、人が集まってくるところです。ギリシャ語ではエクレシアとあります。そして、ペンテコステの日に人々は何事かと集まりました。聖霊が弟子たちに降られたとき、ものすごい音がしたようです。そして、人々があつまり弟子たちはキリストのことを証ししました。
その働きがなされたのは、キリストの復活から2ヶ月もありませんでした。わずか短期間の内になされました。そして、弟子たちは特別な修行をしていたのでもありません。ただ彼らは、神様の約束を待っていました。その約束とは、「力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)と言うことでした。そして、彼らは共に集まり心を合わせて祈りの専念していたのです(使徒1:14)。
もし私たちも「聖霊が必要である、聖霊に満たされなければならない」とするなら、必要なものは祈りです。祈り求めることによって、父なる神様は、神の子どもたちに約束の聖霊をお与えになることができるのです。私たちはあのイエス様の弟子たちのように、集まって祈らなければなりません。ただし、120人集まって祈るのは難しいと思います。しかしイエス様は「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)と約束して下さいました。それは、私たちにも可能なことです。二人でも三人でも集まって、心合わせて祈るなら、神様は聞いて下さり、それをかなえて下さるのです。


2,聖霊の力―キリストの証人

私たちになぜ聖霊が必要なのでしょうか。それは、聖霊が私たちの信仰を告白させて下さるのです「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません(?コリ12:3)。現に、弟子たちはイエス様に最後まで従いたいと願ったのですができませんでした。ペテロですら3回も否定しました。彼らにはその力がなかったのです。私たちにもありません。しかし、神様は私たちに聖霊により、力を与えられます。喜んでキリストに従う力、そして、喜んで十字架を担う力、そしてキリストを大胆に証しする力を与えて下さるのです。
エルサレムはイエス様が十字架に掛けられたところです。弟子たちには恐れがあったでしょう。また、彼らを知っている人たちもいたでしょう。しかし、神様はそれらに打ち勝つ力―勇気と大胆さを彼らに与えられたのです。その力は私たちにも約束されているのです。私たちも、それが与えられるように祈り求めなければなりません。
そして、イエス様は彼らが証人となることを約束されました。ペンテコステの日には、彼らは大胆にイエス・キリストを証ししたのです。今でもその事は必要です。だれでもキリストによらなければ救われません。キリストの話を聞かなければならないのです。キリストの十字架の死と復活によって、私たちは救われます。そしてその事を私たちは語らなければならないのです。その事をなされるのも聖霊です。聖霊が臨まれるときに私たちは、キリストの証人となることができるのです。


柏原教会もキリストを証しして、今年80周年です。しかし、まだ多くの人が救われていないのです。キリストの十字架十字架による救いを心に受け入れていません。それをなされのが、聖霊です。そして神様は人を用いられます。その事を証しする人を求めておられるのです。私たちは神様の願いに応えるものでありたいと思います。私たちにも、あのペンテコステと同じように聖霊が臨まれ、大胆に喜びに満ちあふれてキリストの証人となりましょう。

             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)