柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の御業を語る」使徒の働き2章1-11節

ペンテコステの日に聖霊は弟子たちに臨まれ、素晴らしい御業をなされました。それは、この世に対する具体的な神の御業の現れとなったのです。


1,聖霊のすがた

私たちはこの所で、聖霊が現れておられる姿を見ることができます。まず一つは、「激しい風が吹いて来るような」とあります。聖霊は聖書の中で風とか息という言葉で表されているところがあります。イエス様は「風は思いのままに吹く、御霊によって生まれる者も、そのとおり」(ヨハネ3:8)と言われました。御霊の風の吹くところ死んだ者も生き返らされます(エゼキエル37:1〜14)。
そしてもう一つは「炎のような分かれた舌が現れ」とあります(3節)。それもまた聖霊を表すものです。旧約聖書では炎や火は聖霊を象徴し、神の臨在を表すものでした(出エジプト19:16〜18)。あのモーセも燃える柴の中に神の顕現を拝したのです(出エジプト3:2)。火はまさしく焼き尽くす火です(ヘブル12:29)。クリスチャン生活に好ましくない思い、神に喜ばれない思いをことごとく焼き尽くしきよめる炎です。バプテスマのヨハネはイエス様を「聖霊と火によってバプテスマを授ける方」と紹介しました(マタイ3:11)。水のバプテスマよりもさらに強力であり徹底した罪汚れを聖める力があります。


2,聖霊―神の御業を語る力

さらにもう一つの特別な姿があります。それは「舌」です。舌がなければ私たちは話ができません。「舌」は言葉の意味があります。
聖霊が弟子たちに臨まれたとき、何と彼らは他国の言葉で話し出したとあります(4節)。それはまさに聖霊の業でした。おそらく彼らは外国語を学ぶということはなかったと思います。彼らはガリラヤの田舎で生まれ育った人たちです。およそ外国の人たちと交わることも話すこともなかったと思います。しかし、何とアジア、アフリカ、ヨーロッパと世界のあらゆるところから来ている人たちに彼らの自国語で弟子たちは語ったのです。
それには理由があります。神様はすべての人が救われることを願っておられます。あらゆる国の言語を用いて、人を通して福音を語らされます。そして、もう一つは「神の御業を語る」と言うことです。使徒1:8で約束されたようにキリストの証人となる、つまりイエス・キリストの十字架と復活を語るものとなると言うことです。キリストなしには私たちは救われることはありません。キリストが私たちの身代わりとなって死んで下さる以外に、私たちの救いはないのです。それが「神の大きなみわざ」なのです。
彼らはそれを語るために、聖霊は臨まれ、弟子たちは聖霊に満たされて、「御霊が話させてくださるとおりに」話をしたのです(4節)。もちろん直接語ったのは弟子たちです。しかし、彼らのしたことは、「聖霊に従った」ということです。聖霊に従わなければその事はなされなかったでしょう。彼らは聖霊によらなければ世界中に、すべての人に神の偉大な御業を語ることはできませんでした。福音を伝えるのは、実は私たちではなく、聖霊であることを私たちは認めなければなりません。聖霊が働いて下さるためには、あの弟子たちのように祈ることです。
私たちも信じて祈るならば、6節にあるように、身近にいる人たちが聞けるようにして下さり、私たちもまた「神の大きなわざ」すなわち十字架の救いを大胆に語ることができるのです。


              (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)