柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの謙遜」ピリピ2章3-11節

この手紙は、パウロがローマの獄中にあって書いたといわれています。人生の晩年であり厳しい環境の中にいた彼は喜びにあふれてこの手紙を記しました。そこに主イエス・キリストの姿を見ることができます。


1,キリストの謙遜

ピリピはパウロがヨーロッパで最初に伝道した町です。そこは色んな人たちがいる国際都市でした。しかし、パウロはそこでキリストを宣べ伝え、救われる人たちが起こされて教会ができたのです。
その教会で問題が起こりました。お互いの意見が食い違って対立したのです。そのことに対してパウロは解決を与えました。キリストの謙遜を語ったのです。当時、教会としての建物はありませんでした。救われた人たち自身が教会でした。その教会の土台となったのは何でしょうか。イエス・キリストです。教会の土台はイエス・キリストなのです。イエス・キリストを土台とするならいくら揺さぶられても崩れてしまうことはありません。なぜなら、そのような揺さぶりにイエス・キリストは勝利されたからです。人との交わりで問題が出てきます。一つは自己中心です。自分のことしか考えない、自分の意見を突き通す、それではなかなか互いに協力してできません。いっぺんにチームワークは崩れてしまいます。そしてもう一つは虚栄です。見栄を張ることです。良い格好をすることです。それもまた人間関係を悪くします。そのことに関して、パウロは解決を与えました。一つは、人を自分よりすぐれた者と思うことです。そして、もう一つは、他の人を顧みる、思いやることです。そのことができれば人間関係は改善します。良くなるのです。
しかし、それは私たちの力ではできないのです。イエス・キリストの力が必要です。そして、それは可能です。イエス・キリストは私たちに手本を見せられました。それは、最後の晩餐でのことです。手ぬぐいを取って弟子たちの足を洗われました。それは奴隷のすることです。しかし、イエス様は具体的に見本を見せられたのです。そして、あなた方も互いにそうしなさいといわれたのです。
そして、それだけではありませんでした。十字架の死にまで従われたのです。ローマ人は十字架を恐れたそうです。自分の思い、記憶からも遠ざけたいと言った人もあります。それほど残忍で恐ろしい刑罰でした。しかし、その十字架にイエス・キリストは私たちの罪を負って死んで下さったのです。すべての罪を赦して下さったのです。


2,キリストの高揚

しかし、キリストは死んで終わりませんでした。死の中からよみがえられ、復活の命を私たちに約束されました。その証拠として、弟子たちが見ている前で天に昇って行かれたのです。それを弟子たちは見ていました。また、パウロも復活されたイエス・キリストにお会いし、彼の人生はまったく変えられました。まさに、畑の中に隠された財宝を発見したようなものです。彼は愛と希望に富む者となったのです。ですから、ピリピでの牢獄でもローマでの牢獄でも彼は喜んでいました。賛美していました。人々は彼によって励まされ多くの奇跡が現されたのです。人々は苦難の中から救われ、天国の希望を持ち、そして膝をかがめて、「イエス・キリストは主である」と賛美したのです。
私たちもまた、苦難の中でも同じように主を賛美し、力と愛と喜びに満たされて前進させていただきましょう。

          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)