柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの足跡に従う」1ペテロ2章20-24節

今日の聖書の箇所は、およそ二千年前の奴隷の人たち、クリスチャンになった人たちへの励ましの言葉、困難を乗り越える信仰の秘訣をペテロは語っています。


1,苦しみを耐え忍ぶ

イエス・キリストの救いは、すべての人に与えられます。当時、奴隷であった最下層の人たちにも福音は宣べ伝えられ、多くの人が救われました。
しかし、現実は過酷を極めました。奴隷には人権はありませんでした。まさに、牛や馬と同じような扱いでした。そして、信仰を持てば、楽になるとか社会が変わるとは使徒たちやペテロは言わなかったのです。
ペテロは、自分を不当に扱う主人に対しても従順であり、苦しみを受けるなら、それを堪え忍びなさいと勧めています。なぜなら、それが「神に喜ばれること」であると言っているのです。そしてそれがまさに、キリスト教信仰の神髄であったのです。キリスト教の歴史は迫害の歴史です。社会改革を唱えて一揆を起こしたり、暴力で革命を行うことはありませんでした。むしろ迫害を受け、それに耐え、あるいは命までも捨てて、多くの人は殉教を選び、それをまっとうしたのです。なぜなら、それが「神に喜ばれる」からです。


2,キリストの模範

21節に「あなた方が召されたのは、実にそのためです」とペテロは言っています。彼らの奴隷としての生き方も、なんと神が召されたものであると彼は言っています。彼自身も、ガリラヤ湖で召されました。そしてローマで、逆さ十字架にかけられて生涯をまっとうしたのです。パウロも同じでした。彼も、キリストを信じるゆえにさまざまな苦しみを受けました。それでも彼は、喜びと勝利をもって人生をまっとうしたのです。「走るべき行程を走り終えて、今や義の冠が私を待っているばかりである」と言いましたが、100パーセント満たされた人生をまっとうしたのです。ペテロも同じです。
なぜなら、キリストご自身も、苦しみの中にあって、生きる模範を示されました。人間が手足をがんじがらめに絞められて、最後に動かせるのは舌だけだそうです。その舌でもって、相手をののしったり、恨んだり、たたったりするのです。
しかし、キリストはそうではありませんでした。「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せに」なったのです。


3,十字架の勝利

私たちはキリストの十字架によって罪が赦されます。私たちの、苦しみ呪いをその身に受けて下さって、代わりに死んで下さったからです。私たちの受ける罪の報い死は、十字架の上で終わったのです。
それは私たちが、新しい生き方、神様により十字架で赦された生涯を歩むためです。絶えず、自分は十字架で赦されているんだ、そのことを信じて、罪に対して勝利する人生です。たとえ、心に傷を受けることがあってもキリストの打ち傷、すなわち十字架によって私たちはいやされるのです(イザヤ53:5)。
信じる者にはキリストの癒やしが与えられます。十字架によって赦されない罪いやされない傷はありません。そして、キリストは死からよみがえられました。死に勝利されたのです。信じる者の心の中に現れて下さり、私たちに慰めと励ましを与えて下さるのです。
その信仰を持って私たちは、勝利の道を歩ませていただきましょう。

      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)