2019年3月31日第5主日礼拝
ピリピはヨーロッパギリシャの小さな町ですが、はじめて福音が伝えられました。一つの教会が建てられ、パウロとの交わりは途絶えることなく、彼を支援する教会となったのです。それはパウロの喜びでもあり、今日、日本での宣教の働きにもヒントや助けが与えられる言葉が語られています。
1,福音の前進
福音とは何か。良い知らせ―Good Newsのことです。何が良い知らせでしょうか。イエス・キリストの十字架と復活のことです。なぜなら、私たちのすべての罪は十字架で赦され、キリストの復活により私たちは新しい人生を始めることが出来るからです。
私たちは悪いことがあったら、やり直したいと思います。やろうと思ってもやれない、力がない。そんな時にこそ、神様はイエス・キリストを通して力を与えて下さいます。十字架にかかり敵を赦し、復活の命をもって新しく生きる。その力を神様は与えて下さいます。
もちろんパウロにも与えられました。福音の前進は大きな力です。それはパウロの個人的な賜物や能力によるのではなく、神様のダイナミックな力によって前進します。まさに未開のジャングルを切り開き、道を作っていくような働きです。それは神様のなされることであり、パウロはパイオニア福音の宣教師として用いられたのです。
2,パウロの身に起こったこと
福音が前進していくために、彼に二つの好ましくないことが起こりました。一つは投獄されたことです。それはキリストのゆえにでした。彼は同胞のユダヤ人から憎まれ、また敵対する者たちによって訴えられ牢に入れられたのです。それでも彼は失望しませんでしたし、喜んでその苦しみを受け入れていったのです。そのことが福音の前進となりました。彼の信仰は親衛隊全員に伝えられ、ついにはカイザル皇帝の家の人たちにも福音が伝えられたのです。そのことは、この手紙の最後に「カイザルの家に属する人々が、よろしく」との言葉でわかります。福音が皇帝の家の人たちにも伝えられ、救いが与えられたのです。この事は、14節を見るなら、ローマのクリスチャンたちには大きな励ましとなったようです。みんながますます大胆に神の言葉を語るようになったのです。素晴らしいことです。
そして、もう一つは、パウロをねたみ、党派心を持っている人たちもキリストを宣べ伝えている、と言うことです。
そのことをパウロはいやがっていません。否定していません。イエス様の救いが伝えられることは、個人的な感情を超えたものです。おそらく私たちも、ほかの人が熱心に伝道していたり、活発な活動を見てうらやましく思ったり、それがねたみ心になるかもしれません。
しかし、パウロはどうだったでしょうか。「このことを私は喜んでいます。今からも喜ぶことでしょう」とはっきりと言っているのです。
彼の喜びは、誰が何をするのではなくて、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられることです。
私たちも、この時代、あらゆる方法を持って、そしてどんな人でもキリストが宣べ伝えられるものとさせていただきましょう。
宣教者:柏原教会牧師 西本耕一