2019年3月24日第4主日伝道礼拝
今の時代をある人は「ストレス」の時代だと言いました。確かに生活は便利になり豊になったのですが、私たちの悩みや心配は尽きることがありません。
しかし心配することは一つもありません。神様が私たちを心配して下さり、必ず解決を与えて下さいます。
1,自分には心配があることを認める
まず、私たちは自分の弱さを知らなければなりません。また認める必要があります。人間は決して完全ではありませんし、弱い者です。
自分の身体でさえもすべてを知っているわけではありません。今日2人に1人がガンだと言われています。ほとんどは自覚症状がなく発症します。気がつかなければ手遅れになる場合もあります。偶然に発見されて早期治療がなされて助かった人もあります。自分の弱さを、早い段階で知るなら、人とのトラブルや失敗を防ぐことが出来ます。
自分自身の弱さを知ることは大切です。
2,心配の種は、外にあるのではなく心の中にある。
心配とは文字通り、心を配るとあります。人のことを心配する思いやることが、重なってくると煩いになり、主にとなって苦しくなるのです。その実際は、身体的なことよりも、心理的な心の問題であると思います。心の思い煩いが、体にも影響して眠れなかったり、食欲不振になったり、自分の大きな重荷となってしまうのではないでしょうか。
ただ自分の体に表れることだけに留まらず、ほかの人に害を及ぼすことがあると思います。家庭内暴力や、いじめの問題。最近でも、薬物に手を出して逮捕された芸能人のこともニュースで取り上げられていました。もし、心の弱さに打ち勝つことが出来ていれば、ほとんどの犯罪は未然に防げるのではないかと思います。
中国の詩人王陽明がうたった「山中の賊をやぶるは易く、心中の賊を破るは難し」と言われるごとくです。
私たちは、自分の心を自分で制することは出来ません。それでは誰が、私たちの心を慰めいたわり、強くしてくれるのでしょうか。
3,神が心配して下さる。
私たちはなかなか自分の心の内をわかってもらえないというジレンマに陥ることがあると思います。誰にも知られたくない、でもわかって欲しい。まったく身勝手なことですが、私たちは自分の心をコントロールすることが出来ないのです。イライラしたり、ストレスが溜まってしまうのです。
しかし、大丈夫です。それは自分が自分を心配するのではなく、神が心配して下さる。イエス様の弟子であった、ペテロがはっきりと証ししているのです。それは彼の体験です。事実に基づいた証しです。神様は彼を心配された。そして、彼を守り彼を助けられました。湖でおぼれかけたペテロを信仰の薄い物よなぜ疑ったのかと引き上げられたのです。神様は助けて下さる方です。私たちを背負って、歩いて下さる方です。
イエス様が、私たちの心配を取り除き、私たちを背負い、平安を与えて下さいます。 すべてをイエス様にお委ねしましょう。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)