柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

神の愛と希望」Ⅰヨハネ3章1-3節

 

2019年3月17日第3主日召天者合同記念礼拝

今日は、召天者合同記念礼拝です。先に天に召された方々を偲びつつ、やがて私たちも天に召され天国で共に礼拝しますが、いま地上にあって将来の希望を与えて頂きたいと願うものです。

1,神様は素晴らしい愛を与えて下さる
 ヨハネ3章に、ニコデモがイエス様を訪ねることが出ています。彼は名誉も知恵も権力もありました。しかし、一つだけないものがあったのです。それは死んで天国へ行けるかどうかと言うことです。彼には確信はありませんでした。立派な人で、国の指導者でした。それでも自分のいのちのこと、将来自分はどうなるかわからなかったのです。イエス様は、「誰でも新しく生まれなければ天国に入れない」と言われました。彼は「もう一度母の体に入って生まれ直すことか」と言いましたが、「そうではない、信じることによって新しく生まれ、いのちを持つことが出来る」と言われたのです。
 その新しいいのちとは神の子どもとされることです。私たちは神の子どもとなる。そうすれば神様は私たちを守って下さる。私たちを放ってはおかれない。必ず守って下さる方です。なぜなら、神様は私たちを子としてくださる。愛してくださると約束されているからです。

2,キリストに似たものとなる
 私たちはどのようにして、天国で生きるでしょうか。2節を見るなら、キリストに似た者となるとあります。イエス様は、この世においては、弱い者を愛され、病の者をいやされ、悩みの中にある者を慰め励まされました。私たちはそのようにキリストに似た者と変えられるのです。キリストに似た者として天国で生きることが出来るのです。天国では争いはありません。悲しみや痛み、くるしみがまったくないところです。それが天国です。

3,清くされる
 しかし、私たちの心は天国で生きるにふさわしいでしょうか。心の中に、悲しみや憎しみ怒りと言ったものはないでしょうか。そのような思いをもって天国で私たちは生きることは出来ません。
 「キリストが清くあられるように、自分を清くします。」とありますがどのようにして私たちは自分を清くすることができるでしょうか。私たちの心の汚れをどのようにして清くできるのでしょうか。
 たった一つの方法があります。それは、私たちの心はイエス・キリストの流された血によって清くされるのです。「ベン・ハー」と言う映画がありましたが、最後の所でキリストの十字架の血潮が雨でながれ、洞窟にたどり着いたとき、ベン・ハーのお母さんと妹が病が癒やされたシーンがありました。イエス・キリストの血は私たちの心を癒やし、新しくすることが出来ます。私たちの心もきよくせられ、たとえ死んでも復活し天国で生きることが出来ると信じることが出来るのです。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)